坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

〈やわら〉を入れる ー 共感の力へ《12》

 人が人となった原点、直立二足歩行の姿勢の裡に、〈翼〉をもって飛翔する可能性を含んでいた―。


 直立した人は、半ば宙に浮いている


 前号で触れたように、直立の姿勢のよって、這う姿勢では、自己と大地との間で〈懐〉としてなりたっていた空間が、前方へと果てしなく拡散してしまった。
 この果てしない、本来は〈懐―内―家〉である空間に対して、人は立位によって自由になった手や手指、その延長ともいえる道具、想像力、言語などを用いることで、そこの空間とそのうちに生じてくる事物と自らを関係付けようとしてきた。人間の文明、文化はすべてここに発する。
 だが、前方の本来〈懐〉とすべき空間は果てしなく、そこに潜むだろう物や者達は、未知の力を秘めている。恐れと畏れ、期待と希望がそこにある。
 〈立つ〉ということは、人が、このような未知の前方へ身を晒すということである。

 そして、同時に、その姿勢とは、這う姿勢と比較を絶するくらい不安定な状態になることだ。
 基本的には二つの足裏は地に着いてはいるけれどその面積は体表の二百分の一の面積のさらに様々なほとんど点といってよい個所に重心を絶え間なく移し続けている。
 また人は、直立して足裏は地に着いてはいても、それは足の裏の皮膚一枚のことであって、その上部の他の個所は、実質上、ほとんど宙にある。宙に浮いている。二足歩行している人は、半ば宙を飛んでいる、といえるのである。
 このような見方、このような言語の表現によって通常は地に立っていたり地を歩いている人が、「宙に浮いている」ものとしてとらえられるのだが、それは単に表現上のことでなく、本当に宙にあることを実践的に証明した者たちがいた。
 世界各国、各文明に、色どりは異なるがそういう者たちがいた。


 武術の奥義にかかわる浮身は〈無常〉観と連なる


 たとえば、我国の武道の達人たち(柔術や剣術)であった。そしてまた舞踊の名人たちだった。とくに武術は、文字通り、命懸けの対立、争いの中、それに優りそれを抜け出るための技法を探究するためには、身心の性質を実践の中で極限まで追求した挙句、彼らは、構えや移動の際に「身を浮かせて」行なえと教えた。
 これを「浮身」と称した、という。黒田鉄山氏の民弥流居合いや剣術に伝わる言葉では「無足の法」という。何年前になるか、武術家の甲野善紀氏も、この「浮身」を研究に取り入れている。
 「浮身」は立っている場合に限らない。私が以前、弓道と礼法の小笠原流宗家の故小笠原清信氏の稽古場を訪ね「武士は正坐している間も身を皮一枚浮かしているんだよ」と聞いて、驚いて、それを拙著『極意』―潮文社刊―に書いたものだったが、もう四十年前のその当時は、恥ずかしながらその意味合いがさっぱり分らなかったものである。だからその実践法も分るわけがなかった。今は、体は仰臥、伏臥していてさえも、我が体に「浮身」をかけられる。
 さて、小笠原流ばかりではない。新蔭流や他の古流の文書等にも「浮身」のことは出てくる。
 柳生新蔭流の祖、柳生石舟斎は、神蔭流の上泉伊勢守に直に極意を伝授されたことでも知られるが、晩年、中風(今でいう脳梗塞?)を患って、どちらかの足が不自由になった。ある冬の日、厠(かわや=トイレ)に立とうとした。通らねばならない縁側が凍っているところがあって滑りやすいので家人か弟子が心配したが、「自分は〈浮身〉を心得ているから大丈夫」と、無事厠へ往復した、という。このエピソードは、知人の武道家から聞いたので、今、出典は詳らかにできないが、充分あり得ることである。
 彼の師の上泉伊勢守は一流の知識人であり、石舟斎も、風味ある歌を残しているが、たしか「憂き身」―無常のこの世を一族の長としてしのいでゆく辛さの中に生きるこの身、その憂き身と「浮き身」をどこか掛けていた、そんなニュアンスも含む歌があったような気がしている。実は、仏教―鴨長明芭蕉…と連なる「無常」と「浮身」は本質的な意味で連なっている。このことは後でもっと詳しく触れるが、そのように「無常」に連なるものとしてとらえれば、浮身のとらえ方や考え方も、その身ごなしの実践法もずっと解きやすいのである。身ごなし、身ごなしの文化には、そこに色濃く世界観の反映があるからである。
 私が、武道や舞踊や身体技法のことに触れるのは、そのように宇宙観(コスモロジー)、世界観、生命観、自然観の反映が、鏡のように「身体」に映るからである。実は本来は万象が私たちの「身」に映るのである。逆に卓越した身体技法、あるいは一見平凡で何気なく見逃されている通常の身ごなし等の中にも、私たちは「世界」「生命」「存在」の本質を発見、再発見することがあるのだ。


 翼をもつ野性の怪物(?)―天狗
 
 さて「浮身」については興味深いことが伝わっている。 
 それは、古伝の武術書や奥義書には、究極「天狗」が出現して伝えられた、というものが少なくないのである。
 翼を生やしていて、空中を飛んで移動するとされる怪異な天狗の伝説。烏のような容貌をしたカラス天狗や顔が真っ赤で鼻の高い大天狗等様々だが、いずれも翼をもつことで通常の人間と重力との関係が異なる。重力との関係が尋常の域を抜けることこそが、武術や舞の技の極限にかかわる、というところが肝要である。
 なかにはこんな例もある。三河地方の踊り好きの青年がある時、猪の背中に乗って山奥に連れられ、そこで天狗に出会った。あるいは猪が実は天狗だった(?)。いずれにしても、その時山奥の地で踊りの極意をさずかってそれが現代にも伝わるとされているのである。
 その他、猿とか(陰流)、蜘蛛(合気術)など、自然の中の生き物が、奥義を示したことが伝えられる。いずれも、重さ―重力との関係のレベルが、一般の人間とは異なるものたちである。
 古武術でも一般に伝わるなかでは最も古いものの一つ(私はそれ以上に古いと思われるものも知っているが)香取神道流では、飯篠長威斎が、武芸者が挑戦して来ると、目の前で熊笹の上に身を浮かせて坐って見せ、挑戦を諦めさせた、と伝えられている。これなどは、相当神秘めき、術の世界を殆どこえて、たとえば仏像で如来や菩薩が蓮の花の上に坐ったり立っても花の茎が折れもしないのに似ている。重力と技のかかわりが重力と人間存在のかかわりそのものにまで及んでいるのだ。
 (だからこそ、私が、武道や舞踊や瞑想等身体技法とされるものが、現代人間の存在を拓くヒントになる、と思ってきたのである。哲学者によると西洋哲学では、ニーチェこそが「身体」を真っ向からとらえた先駆者とされるが、私が重力や翼というとき、そのこととも関連してくるのである。つまり、人体観、人間観、生命観等の新たな方向性にもかかわるはずなのである。)
 次に様々具体的な例と共に、浮身の新たな展開の可能性を見てゆきたい。
 その中でも重要なのは、私が青年時代に出会った合気道植芝盛平翁が語っていた「天の浮橋」という大和言葉による「浮身」であるが、私が言いたい「翼」とは、そこから湧出する発想でもあるのだ…。「翼」によって、詩的な想像力と思われるものと、実践上の身体的な技法や知恵が結びつくのだ。(つづく) 

平成二十四年八月十五日