坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

「合気は常識よ」― 植芝翁の一言から ・・・〈やわら〉を入れる―特別篇

 しばらく連載を休んでしまいました。
 実は、九月末から十月半頃まで、ドイツ、フランスに講習に行ったことと、その前後、ある出版社から二百数十枚のハードカバーの本の出版を持ちかけられ、引き受けてそれに取りかかったことで、余裕がなくなったことをお断り、お詫び申し上げます。
 まだ 通常の連載のブログには本格的に取りかかれないのですが、今秋、出身大学の合気道会の同窓会から依頼された、私と合気道の出会いについての小文を載せます。少し省略したり足したりしています。これまでブログに載せたことも重なっているところもありますが、参考にしてもらえれば幸いです。
 また、ひかりの武・やわらげの映像を二、三載せます。
 来春、一段落してから本格的に続けますが、それまでは特別篇を折りに触れて少しずつ続けてゆきます。
 よろしくお願いします。
                      平成二十四年十二月十一日                                                                          坪井香譲

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「合気は常識よ」― 植芝翁の一言から

 私は浪人時代、ある小冊子で植芝盛平翁のことを知った。翁が大本教におられたころに、自らの存在が宇宙に拡がり、黄金の光に満たされ、真の武は「愛」なり、とインスピレーションを受けた、という例の有名なエピソードに衝撃を受けたのである。その前、高校時代に、塩田剛三師の演武だったと思われるが、多人数がけで、七、八人をさあーっと投げてゆく映像を学校で見た記憶もあり、合気道の名とイメージは自分なりにもってはいた。けれど私にとっては翁の体験は、強い、弱いの相対さえ越える、何か、人間の本来あるべき本性のように感じられたのだった。
 実は、私は高校二年の時に、忘れられない体験をしていた。ある長編小説を読み終わったあと、急に、周囲の空間も、庭の樹々の枝も、雲も、大地も光に満ちて、意識が宇宙へとひろがると思われ、そのひろがりと共にあるすべての物も人間も何もかもが大いなる肯定的な感情と共にあった。身のすぐ近くにある空気の粒子一つ一つが光って踊っているようだった。この喜びの波に圧倒されるような感情は一週間もたたずに消え去ったけれど、これは私にとって一種の「原体験」のようになった。
 けれど、世に生きる術にも知能にも体力にも自信をもちようもない単なる本好きの一少年にとって、この体験はむしろ負担になる。よくもわるくも、一般の常識的な、社会性のある人生や生活とはちぐはぐになりがちになる。ともかく私は、様々な哲学や文学、宗教の本を繙いては、自らが遭った体験を理解しようとした。そして、これが、「至高体験」「神秘体験」「大洋的意識―オーシャニック・コンシャスネス」などと言われ、古今東西、有名無名の人が体験しているのに相似しているのではと思った。また、そんな〈光の体験〉にはアブナイものがあり、禅宗では、特にそれにとらわれるな、という戒めがあったり、マガイモノやニセモノの体験もあることを知った。自分のが絶対ホンモノという確信があったわけでもない。
 早大の第一文・心理学に入ったのも、そういうことを追求したかったのだが、哲学科心理学専修という割には、哲学的なものは欠落していて自分には合わないと思った。
 そこで、六十年安保で講義も全くなくなったりしたこともあり、六月に若松町の本部道場に入門することにした。
 その入門した日、その頃よくそうされていたように、盛平翁が稽古中の道場に姿を見せられた。見事な白い髯、輝く目、艶のよい顔、とても小柄だが、インドの詩聖タゴールにも似ておられる。
 早速、道場で若い門弟達を相手に演武をされる。さあーっと投げて、微笑して語ったことが忘れられない。「わしは今、一年生よ」
 驚いた。この道の最高峰の人が、衒いでなく、胸ふくらませながら初めて校門をくぐる小一の初生な心もちでいることが感じられるのである。一生を費やして探究してゆけるものがここにあるのでは、とそれだけでも感じさせたのだった。
 こうして道場に通い出してみると、盛平翁は、稽古中に姿を現しては、何か、すっと一言か二言、とても凄いことを語られるのである。私がしっかり記憶していることも幾つもあるが、あるとき「わしは言葉を、中心に突き戻して吐き出している」があった。これは、人間と身体と言葉との係わりのとても大切なことを、びっくりする程端的な表現で語っている。言語学でもとらえられていないだろう。「合気道微分積分よ」―これは微積分の祖ライプニッツニュートンが聞けば、驚きつつ双手をあげて賛同する合気道や武道の極意だと思われる。(当初は何のことやらさっぱりだったが)
 ある時「合気道は常識よ」と言われた。合気道の目指すところも、技や型の中にあるものも、そのエッセンスは、合気や武道や日本民族などの枠をこえて、普遍的に、人類の生活に共通するもの、と、私は感じた。(この解釈は飽く迄私自身のであって、これだけが唯一と主張するのではないことをお断りしておく)すごい発想だと思った。そして、この「常識」を、あらゆる創造的な仕事や身体技法や芸術に活かしたら…と発想するようになっていった。
 そして、民族、仕事、日常動作、儀式や行等のジャンルをこえた共通の「身体の文法」を発想するようになり、合気道や合気術を中心に他に武術も研究しながらも、様々な武道以外のことを実験して、シンプルなエクササイズとして編み出したものを、ここ三十年、行ない続けてきたのである。そのため、日本でも西欧でも人数は少ないが様々なジャンルの人々が参加して、その仕事にも役立てている。窮極は、人間は生物、動物であるという基盤と、直立二足歩行してヒトとなったその原点からすべては発している。したがって重力との係わりが問題だが、植芝翁は、そこのところを「天の浮橋に立つ」とおっしゃった、と、私は思っている。古い武術では〈浮身〉なのだが、これはさらに先にゆく発想だと思われる。そしてそれをもし、現代の西洋の哲学者で最も卓れた者たちが理解しはじめたら驚嘆すると、私は思っている。術のみでなく、人間学として最深のところに、植芝翁はかかろうとしておられたのだと思う。(そして私自身は、二十一世紀へ生きてゆく人間として、この〈浮身〉―〈天の浮橋〉 をどう展開し、現代から未来へ、思想的にも実践的にも活用できるかをテーマにしてきた。人間、ヒトのエッセンシャルなものとして。)ともあれ、こうして私個人を省っていうなら、こうした「身体の文法」の発想と体感で、私自身も、様々な技は解かれて可能になったのだった。



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