坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

「コロナと人間の知」(5)

黄色いヘリコプター

 私自身の体験で、ちょっとした不思議なことを述べます。といっても怪異や神秘的なことでもありません。ただ、何十年も、ごく最近まで心に引っかかってきたことです。

 

テレビをはじめて見に行く

 私が、小学校五年生の時、広島市の学校に編入したばかりのことでした(昭和25(西暦1950)年)。学年行事で「テレヴィジョン」なるもの(!!)を見学に出掛けたのでした。

 歩いて小一時間、大きな会場で一台の受信機が高い舞台に置かれ、そのスクリーン ーもちろん白黒ー に動く人が一、二人映り、何か文字が映され、それで終わり。帰りは、少し隊列をだらけ気味にして歩いていたその時、突然轟音と共に一個の飛行体が直ぐ傍の宙に姿をあらわしました。

 おそらく、私ばかりでなく、他の多くの生徒にとっても初めて見るだろうヘリコプターだったのです。

 もちろん、当時はおそらく米軍のしかなかったでしょう。道の傍は太田川が流れています。原爆(広島の多くの人たちは原爆とはいわず「ピカドン」と呼んでいました)の際、夥しい死体が浮かんだ、割に大きな川です。

 その川面にはプロペラのために波が立ち、それと共に私たち児童も騒然となりました。

 その機の色は黄色でした。

 何か襲いかかるかのように間近の宙に浮くその黄色の金属の塊を目にした一瞬後、私は奇妙な感覚に襲われました。その「一瞬」は短くもなく長さも感じない、何か時間の間(マ)のような感じです。奇妙な感覚というのも少し後からそう省えったので、その間(マ)には次のような想いが、さっとかすめるようによぎっただけでした。

 「あのへリコプターは、あのように黄色 ーキイロー をしている。そして、今自分は目を通して「黄色」を感じていて、おそらく皆も日本人共通のキイロという音による言葉で受け取って同様の色を目と心でとらえている。けれど、いったいここにいる他の子達も、ここにいなくても自分以外の他人も、その黄色 ーキイロー を自分と同様の感覚と言葉で受け取っているのだろうか。一体、なにが、どのようにして自分と他の人の世界の受け容れ方を同様同質のものとして保証しているのか。その仕組みは何か……。」私はここでは黄色という色彩感覚そのものと、それを「キイロ」と呼ぶ言語の仕組みと感覚や言葉の他人との共有性について考えたのでしょう。

 

世間へ出る畏れ

 こうした奇妙な不安な状態に似たことは、おそらく多くの人が経験するだろう。私の場合は、この「事件」がずーっと長い間、時偶浮かんで心に引っかかってきていました。

 

 実は、この黄色いヘリコプター事件は当時の私自身の境遇も関わっているかもしれません。

 それは、その時ヘリコプターが出現する少し前、私たちの行列中のちょっと後にいた、餓鬼大将らしき子が、仲間と性的な冗談を言い合っていて、突然「エレクション!」「エレクション!」と叫び、それにつられて何人かの男の子たちがどっと笑ったのでした。

 前に触れたように、私はその広島の小学校の五年に編入したばかりで、友達もまだできません。(実は小学校は、新入学は大分、そして鹿児島、大阪、再び鹿児島、そして広島と五回目の転校だった。)その上、母親が、その頃は死病とされた結核に罹り、特別な療養のため九州に長期滞在中でした。

 そこで親しめる友人もいないことなどが、内向的な私の心に影響していたのでしょう。誰もが平等に、性という関門も通して、成長し、やがては成人の世界に出てゆかねばならない。そういう将来への想いに漠とした不安が覆いかぶさってきたのかもしれません。それも、黄色いヘリコプターへの反応に出たのかもしれません。けれど、こういうちょっとした分析めいたことも、後から ーその中のあるものは数十年もしてー から見えてきたものです。

 一方、別の視点に立つと、この黄色 ーキイロー は、私個人の精神状態とは関わりなく、結構本質的な課題で、たとえば哲学上の認識論や言語学上の基本的なテーマに連なるものでもありましょう。私は、学者になれる才能に乏しく、それにふさわしい努力もしなかった。けれど、自分がこれまで折々にふと考えたり、やがて三十代で東西古今、万人に通底するだろう、という前提に立つ『身体の文法』を発想しはじめたのも、「黄色いヘリコプター」がその根では深く関わっているのを感じるのです。

 

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      原爆ドーム太田川越しに臨む - photoAC -

 

素朴至極の問いへ

 これをきっかけに、十代後半頃からですが、私はそれにまつわってくるような「問い」を幾つかもって、それを何年も心に抱き温めてゆくことにもなります。それは、いつの間にかそうなっていった、という他ありません。

 多くは日常生活の中でふと感じ始めたり、時には人に聞いたり、本で読んだことをきっかけに、浮かんできた「疑問」です。

 それらの問いは、今から思うとーーまるでびくともしないで真正面に聳え立っている山に手をかけてを揺さぶろうとしたり、どのくらい深いかも知れぬ海の底を計ろうと企てるような案配です。

 身の程も分も弁えず、自分の能力も省らない無鉄砲さです。

 けれど、ある意味では、とても自然で率直な「問い」とも言えましょう。実はそれらが、玉城先生の言う「全人格的思惟」とも関わってくると思うのです。

 どんな問い掛けだったかーー。(続く)