坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

〈やわら〉を入れる ― 共感の力へ《13》

天の浮橋に立って眺めれば、みんなわしの孫の孫」


 合気道創始者植芝盛平翁が、武術の「浮身」に通じる立ち方、構え方、運足法を古事記に出てくる「天の浮橋」という言葉を用いて表現した。
 もう、五十年にもなるが、私が二十歳台のときに、強い弱いの武道にはほとんど興味がないのに、十代の時に私に起ったあることが理由で道場に通い出したある時、翁は、ふと何気なく、「天の浮橋に立って眺めれば、みんなわしの孫の孫じゃ」と、見た人なら忘れられない、実に魅力的な愛嬌のある笑顔をしながらも半ばいたずらっ子のような表情で言ったことがある。
 このブログの随筆のタイトルにした「やわらを入れる」も、

この時の植芝翁の言葉と、その前後に道場で見せた舞のような半ば武術の動きを入れた「かぐら舞」と、合気の技の鮮やかさに、私が深く感銘したことによる。五十年前のことが、未だ活々と胸中に甦るのである。
 「天の浮橋に立つ」とは一体どういうことなのか、見事としか言いようのない翁の身さばきと、その技の不思議な鮮やかさ。いわゆる武の強い力という枠を抜け出ている芸術のような動作と雰囲気…。いや、通常の卓れた芸術をも抜けている! 
私は翁の技を見た直後、文字通りに目が洗われたようで、あたりの事物が新鮮に見え出したことさえあった…。その「天の浮橋」という発想によって古武術の「浮身」にもう一つか二つの新しい視点が入れられたことにこれまで少しずつ触れてきた。そして私が、重力と人間の関わりを、言語や思想と並列するように続けて身心技法の実践、研究を通して求めた挙句、「〈翼〉をもつ人間」に到ったことも少し触れてきた。

 世界の各民族で、古来、様々な場面で「浮く」方法やとらえ方、あるいはヴィジョンの展開がなされているが、「天の浮橋」や「翼」をはじめ、そうした様々な事象に詳しく触れてゆく前に、二、三おさえておくべきこともある。
 「浮く」ことは決して身体上のみのことでなく、精神上のみのことでもない、そしてまた、身と心二つの合わさったこと、といっても何か充分でない。【註1】
 「浮く」とか「翼」とかは、人間の存在そのものの本性に関わることなのである。
 私たちは、人が亡くなった後、その人の人生や死ぬ迄の境遇などを顧みて、あの人は「浮かばれる」とか「浮かばれない」とか言う。歌舞伎でも非業の死を遂げた者へ「浮かんでくれ!」と呼びかける演目があった、と私の翼説や「浮身」論を聞いていたK君が報告してくれた。
 およそ、地上の生命の条件の基本の一つは、「重力」「引力」ということになる。宇宙の森羅万象は、重力という制限中にとらえられつつ、またその重力という働きに支えられてもいるのだ。水中の生物は「浮力」との関係が問題になるが、そもそも生物を囲み、浮かせる水やその圧力、流れも重力が支配している。
 私は、重力と人間、重力と身体との関わりにつては幾つかの著書でずいぶん触れてきたので、ここでは簡略にする。【註2】 たとえばオリンピック競技の殆どの種目は、如何に重力を処理するか、言い換えると「重さ」という条件を活かして、「重さ」の制限を超えるかが課題になる。
 「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのモットーは有名だ。(そしてこれが高度成長を目指す経済競争の裡に潜む理想にも似ていることは否定しようもない。)
 スポーツ競技の跳躍、走り、投擲では、このモットーが端的に分かりやすいが、たとえば重量挙げ競技でさえ、競技者の素早くほとんど目には見えないが跳躍のような動作によって、引き上げられた鉄塊の下に身を置くことが鍵になる。しかも重いものを「高く」差し上げるではないか。
 しかし、オリンピックやスポーツ競技はごく小さな限られた例に過ぎないとも言える。
 人間の為すことの全て、一般に言われる精神的な営為でさえ、重力との関わりがテーマになる。
 知的な作業そのものの根本原理を極めようとした、デカルトは、思考への身体の不安定な影響を排除する想定をして、あの「我考える故に我あり」に到った。しかしこのように身体上の不安定な影響を排除した、そのこと自体が、身体―重力のもとに存在するもの―をこれほど強く鋭敏に意識した、ということである。現に、デカルトの思考実験として、身体の影響を排するために、身を静かに横たえておいて考えることをした。そしてこれを「水平思考」と呼んだと―私はその出典は知らないが―以前知人の医学関係の学者から聞いたことがある。


 エクスタシー ― 外に立つ ― 脱魂


 古代ギリシャ人達は、脱魂状態、エクスタシー状態に入った、という。エクスタシーの「スタシー」の方は、立つ、という意味で、「エクス」は外に出ること、つまり立って存在している体から魂が脱け出ることがエクスタシーの原意といってよい。通常は「外に立つ」とされているようだが。エクスタシーには様々の形式、ニュアンスが異なるものがあるが、ギリシャでもっともよく知られている一例が、西洋哲学の祖、ソクラテスで、思考に入ると半日以上も一個所に立ったまま動かなかった、とも、脱魂状態になった、ともいわれている。一般に現代的に腑に落ちる解釈で、てんかんだったとするものもあるが。もちろん、古代ギリシャでは、たとえばアポロンの神託で有名なデルフィなどでは巫女が半意識状態―エクスタシーに入って夢遊のようなことをしゃべり、それをもとに神の予言とした、ということなどは、他の様々な古代の民族とも通じている。儒教の祖、孔子の母親もそうした巫女であったと伝えられている。
 要するに、重力の枠の中に存在しなければならない「身体」から意識ないし魂が脱け出ることは、人類、世界共通であったし、現在でも、アジア、アフリカ等々でそうしたことは行なわれている。

 宮沢賢治やその句に触発された詩人谷川俊太郎氏は次のように述べている。

 「父の部屋に入ると、畳の上いっぱいに大きな紙がひろげられていて、そこに私は、「まずもろともに、かがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」という父の筆のあとを見る。不意に私は自分のからだそのものが、その言葉と化して、しぶきのように飛び散るかのような不思議な感覚を味わう。ほとんど無に等しい希薄な空間を、光の速度で遠くへと飛散してゆく私。そこには一種の恍惚があった。微塵となっているくせに、私は私なのだった、他の微塵とはますます離れ離れになっていくのだった。私は訳の分からない涙が、胸の中にわき上がるのを感じた。
  松川町役場のうらの丘に立つ、その賢治詩碑をまだ私は見たことがない。」  
                          ―「イメージ4」より―
                     (『谷川俊太郎の世界』北川透著)
 この賢治の言葉は「農民芸術概論綱要」である。これを引用している著者の北川 透は、谷川氏の父徹三氏が賢治の詩碑のために紙に清書を試みていたときのことだろうと語っている。谷川氏もそれを引用した北川氏も、決してエクスタシーとか脱魂とかいわないものの、上に挙げたいくつかの例に通じる体験ではと思われる。そして、谷川氏の例を含めて、それらの多くは飛翔、飛散、解体、浮遊感を伴っているようだ。もちろん、谷川氏の例はそこに常に透徹した知性が調和しつつ伴っているが。
 民俗学や人類学などでは夥しいシャーマンの研究がなされている。そこにも飛翔や浮遊などの例も多い。
 
 もちろん、我国でも古来、万葉集の歌などや、すぐ後に挙げる例や源氏物語に多くあるように、「脱魂、エクスタシー、浮揚」的なことが知られている。そして古代から中世になるにつれて、そうした「脱魂、エクスタシー」がそのニュアンスを変え、どちらかというと人間の身体と共にある知性的な働きが勝ってくる。たとえば、能楽などで、観世の観阿弥が憑きものの舞を表わしたのと、その子世阿弥の類似の例の、物狂いの舞のニュアンスの差などにも相当はっきりと表われている。脱魂した身に何かの霊やもののけが憑いて動く、その霊への舞い手(仕手)の身と心の明け渡し方が、世阿弥の方がずっと「冷静」になっている。世界中、離れ小島になったような小規模な文明圏は除くとしても、一体、少しでも互いに交流や接触がある、世界中のあらゆる文明圏で、こうして、自我意識の変遷があるのは、とても興味を呼ぶことだ。
 さて、このように「エクスタシー」の、我々現代人から見たら強烈な作用は薄れてきたものの、人間のどこかに、それを受け容れる価値観、文化の感覚のようなものがあり、無理矢理にそれを非合理の名のもとに抑えつけるだけだと、かえって急激に、形を変えて襲われるかのような現象があることも、ユングなどの「無意識心理学」で指摘したことだろう。

 私の仏教の師は、玉城康四郎先生だった。といっても、私はもちろん学者ではなく、全くの素人であり、縁あって、一月に一回先生のご自宅の応接間で開かれる、先生のごく内々の、座禅と短い講義の例会に数年間、その末席に連らならせてもらったに過ぎない。けれどこの時の経験はとても大きかった。
 そのころ先生は東京大学で東洋思想と仏教を講じられていた、日本を代表する学者の一人であったが、ずっと若い頃から瞑想(坐禅)を毎日欠かさずに行じられて「身体と人間」にも常に関心を持ち続けておられた。


 玉城康四郎「人類の教師たち」から西行まで


 その玉城先生は、仏陀孔子ソクラテス、キリスト、パウロ…等、現代まで精神的影響を与え続けている人々を「人類の教師」として(これは哲学者ヤスパースに因ったのだろうか)彼らが、共通して「法(ダールマ)」「如来」「天」「神」「デーモン」等、呼称と各々ニュアンスは少しずつ異なるが、自分自らを「超えた」存在と出会い、相対した。けれど窮極はその驚きを自身の運命として受容し、そしていわば自らを明け渡した。そして、それらの自己を超えたものと「一つ」「一如」になっていった、と語っておられる。
 これは、自己を「超える」、脱魂、エクスタシーと通じるものがあるのだ。もちろん、そこに様々なニュアンスの差がある。そもそも先に述べたように脱魂、エクスタシーなど、現代人が忌むべきものとして最も嫌ってきたことである。
 だが、道元親鸞のような人は、当時最高の知性と学識をもっていながら、はっきりと「自我を脱却する道」を説いている。
 近代合理主義思想の祖といわれるデカルトは、自分というものの根拠を「考える」というところに置いた。「考える」のは自分だが、考えるからこそ自分がある、というところは、ある意味では「自分」を脱している、ともいえないだろうか。もちろん、知性には普遍性をもつ基軸のようなものが想定されてこその知性なので、一般にいう脱魂とかエクスタシーとは指すところが大きく変容しているが。


――和歌の中に


 さて、もう一度我国の昔の例に帰ろう。
 たとえば、古代末期、中世初期の、西行法師(1118~1190)は、  
  吉野山、梢の花を見し日より
  心は身にもそはずなりにき
 と歌う。これも心(魂)が身から出て浮遊し、あくがれて、さまよう状態だ。
 「あくがれ」とは、「あ」―無限の世界へ焦がれることで、恋や何かへの強い切なる憧憬である。恋ひ、乞ふこと、切なる願いである。
  秋の夜の月に心のあくがれて
  くもいにものをおもうころかな
             花山天皇(968~1008)
 これらは、もちろん宗教的なエクスタシー、ではない。月や花への憧憬である。だが、私たち現代人が普通にいう憧憬より、はるかに強烈な思いがある。あるいは思いは強烈な作用をしていると言うべきか。西行もそわそわするし、花山天皇も、想いは雲へそして天空へと馳せている。とくに西行の例などは、表現は古代の脱魂状態に近接し、山野へ想いが流出し、遂には身体もそれにそって、漂白してゆく。少なくとも字義の上ではそうだ。こういう状態に、後世の芭蕉も深く同感し、旅を栖としようと「奥の細道」へ旅立った。
 あくがれ―そこに、今立っている、現在の存在の状態、枠から、もう一つ出る、敢えて展出してゆく。そこに生命(イノチ)が本質的にもつ冒険がある。


 地道な生活にも活きる「エクスタシー」


 今回は武道、詩歌、哲学、宗教などの過程にある「エクスタシー」の例を多く挙げた。けれどエクスタシーや浮身や天の浮橋、そして〈翼〉は、決して特殊な、専門的な世界に限られたものではない。それどころか地道な生活人の様々な場面にもとらえられ、生じてくるものだ。「人間」そのもの、人間性そのものを裏付けるものである。そのことも含めて、これから書いてゆきたい。(つづく)
平成二十四年九月十七日



【註1】このことは以下の宮沢賢治の詩のニュアンスとどこか通じている。

『月天子』          

私はこどものときから             
いろいろな雑誌や新聞で            
幾つもの月の写真を見た            
その表面はでこぼこの火口で覆われ       
またそこに日が射してゐるのもはっきり見た   
後そこが大へんつめたいこと          
空気のないことなども習った          
また私は三度かそれの蝕を見た         
地球の影がそこに映って            
滑り去るのをはっきり見た           
次にはそれがたぶんは地球をはなれたもので   
最後に稲作の気候のことで知り合ひになった   
盛岡測候所の私の友だちは           
---ミリ径の小さな望遠鏡で          
その天体を見せてくれた            
亦その軌道や運転が              
簡単な公式に従ふことを教へてくれた      
しかもおゝ                  
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない             
もしそれ人とは人のからだのことであると   
さういふならば誤りあるやふに         
さりとて人は                 
からだと心であるといふならば         
これも誤りであるやうに            
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに            
しかればわたくしが月を月天子と称するとも   
これは単なる擬人でない
           (『雨ニモマケズ手帳』P105〜)


【註2】『気の身体術』(坪井香譲著 工作舎刊)参照


※写真は1枚目が植芝盛平翁、2枚目が谷川俊太郎氏のプロフィールを掲載しました