坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

承前

講演・続「掌と心と言葉 ー ヘレン・ケラーの目覚めから」


坪井香譲「掌と心と言葉〜ヘレン・ケラーの目覚めから」-2



坪井香譲「掌と心と言葉〜ヘレン・ケラーの目覚めから」-3

 講演後記

 ヘレン・ケラーについて、もう少し。
 コミュニケーションの自由を喪失したかのような彼女は、「井戸水」をきっかけに言葉を回復した後(依然として見えず、聴こえずではあっても)、勉強し、ハーバード大学を出、やがて、障害を持った人々を励ます世界的思想家となってゆく。
 私が最も興味をもっているのは、彼女が哲学に深い関心を寄せ、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に感動したのち、スェーデンボルグを通して信仰の道に触れたことである。
 実は、私は以前、彼の『天界と地獄』を読んで、とても深く心を動かされたことがある。
 18世紀の人、スェーデンボルグが、直接、間接に世界に与えた影響は計り知れない。影響を受けた人々をあげると、同時代のカントなどは別にして、後世、エマーソン、ジェームス(ウィリアム)、ソロー、イェイツ、ボルヘスホイットマンボードレールマラルメ鈴木大拙(!)、パース、ロングフェロー……。まったくアトランダムに名を列挙したが、これらの人々は一通りでない影響を受けたのである。このような相関を追ってゆくと、実はまだまだキー・パーソンがでてくる。たとえば鈴木大拙は禅の思想家だが、彼はまずスェーデンボルグの『天界と地獄』という壮大な書を日本で初めて訳しているのである。一見、禅の無執着や放下著とは対極にあるような描写に満ちたスェーデンボルグの大著『天界と地獄』は、しかし、どこかで、禅に通じる〈自由〉を含んでいた。そしてその鈴木の影響はその親友の哲学者西田幾多郎へ及んでいる。西田は晩年、スェーデンボルグの研究に取り組もうとしていたらしい。私が最も影響を受けた日本の代表的評論家、小林秀雄が若いころ影響を受けたランボーも、実はアメリカ経由でスェーデンボルグの影響を受けている。フランスの象徴主義(サンボリズム)がそうなのであるから……。その他19世紀末から20世紀、多くの思想家、文学者が直接、間接にスェーデンボルグの影響を受けていると知ったのは、若い評論家、安藤礼二の著作を通してで、私は去年2011年、その『場所と産霊』を読んで驚嘆してしまった。それは普通のレベルの驚きではなく、私にとっては驚倒すべき内容でもあった。それについては、私のこれまでの体験などもかかわるので、別に紙巾を割かなくては述べきれるものではない。
 ともかく私は、上に挙げた人々の著作に熱中してきたことがあるが、スェーデンボルグという大元の水源がそこに何らかのつながりをもっていた、ということが、一挙に一望のもとに見晴らせ、その急に眼前に拡がったかのような視野に愕然としたのだった。
 ともあれ、近代世界思想史上もっとも怖るべきと、私が考えるスェーデンボルグにヘレン・ケラーもつながっていたのである。言語の自由を奪われて封じ込まれていた彼女が、通常のキリスト教信仰でなく、スェーデンボルグに傾倒していったプロセスについては、これから調べたいが、おそらく、ある種の必然があってのことで、そこに「からだ・ことば・想像力」の構図も見えてくる、と見当をつけている。
 スェーデンボルグは、当代きっての科学者だったにも拘らず、「霊界」に入ったと称して、本を発表しはじめた人だから、現代日本では永くやや「特別な」と思われる人々しかそれに触れてこなかった。けれど、ようやく、もう一度視野に入れる時機が来ている。



平成二十四年一月十六日