坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

人間の原郷<ハラ・肚>と<フトコロ・懐> 2

 <ハラ>ともののあわれ

 前の章 1では、元来のタイトルに沿って<腹>または<肚>について書こうとしていた(以下、腹・肚を<ハラ>と表記)。
 ところが、― 自分で後で気付いたのだが ― テーマは<詩>になってしまった。それには理由がある。
 <ハラ>は、様々の身体技法、伝統的芸能や武術や養生法で大切なものとされてきている。禅や武士の心得に欠かせない<ハラ>。
 ところが、どうも、歴史の中である頃から<ハラ>が男性原理に偏って用いられているのではと思われる。とくに「ハラキリ」迄を視野に入れてその勤めや生きることをとらえようとした江戸期の武士の影響が大きいのかもしれない。
 ところが、武士道、つまり、もののふの道といっても、雄々しい「益荒男振り(ますらおぶり)」だけでなく、むしろ女性原理の「手弱女振り(たおやめぶり)」も、大切なものとしていた筈なのである。
 真のもののふは「もののあわれ」も心得るということもあったのである。
 とくに、これはと思われる平安末期の武士たちは、短歌を通してそのことを表そうとした。


 弓の名手として謳われた源頼政(1104~1180)は歌人としても知られていた。平家側では、清盛の弟、平忠度が源氏に追われて都を落ちてゆく際に、歌の指導者の藤原俊成に会いに行き、
 ― さざなみや 志賀の都は あれにしを
   昔ながらの 山ざくらかな ―
の一首を言付けて去った。そして直ぐに戦いで死んだのである。俊成は、形式上は謀反一族の忠度の名を出せなかったが、これを勅撰集に推した、という『平家物語』の一節。この頃は、例の代表的歌人西行法師も、元々は武術も達人で強壮の武士だったのである。
 そのように考えれば、遡って万葉集大伴家持や旅人の大伴一族も、元々は天皇を護る武の家でもありながら、言向ける(言葉で説いて従わせたり、和したりする)働きも優れていた。武と歌(言葉あるいは言霊(コトダマ))は大きく一つの働きをするとも見られていたのである(中西進の説)。
 もののあわれもののふのつながりは、鎌倉以降に大きく変遷したともいえる。侍にはより勇壮さや雄々しさが要求されるようになった。
 けれど一方、江戸まで、武士のたしなみの技の一つである武術にも、男性原理に偏らず、実は手弱女振り― 女性原理 ―も含まれていたのを忘れてはならない。
 

 幕末に物外という曹洞宗の僧がいた(1795~1867)。彼は不遷流という柔術の達人で数々の勇ましいエピソードがある。一人の侍に勝負を挑まれ、槍で突いてくるのを、懐から出した雲水用の椀でピタリと挟んで動けなくしてしまった。またある時には何かの事情で、欅でできた碁盤の裏面に拳を当てて圧すると、拳骨の跡がついた、そこで「拳骨和尚」の渾名がついた、という。
 いかにも、講談にでも出てきそうな豪傑振りの物外だが、その彼に柔術の一面を表した句がある。
 ― 鳴神(なるかみ)の力も蚊帳の一重かな ―
(凄まじい雷のような偉力でも、柔らかくて薄く透けている麻布一重のお陰で、害力は当方へ及ぶこともない)
 これは真の柔らかさによって相手(敵)の攻撃力を消す、柔術の極意に他ならない。

やわらげの武 (2017.3.11-1)



やわらげの武 (2017.3.11-2)


 別の流派の極意に、敵やその力に対するに、水に浮かぶ一枚の木切れのようにリラックスして無抵抗になれ、というのがある。
 力むな、怒るな、体を凝らせるな、ということである。
 これらは、柔術合気道の大切なコツの一つだが、それに限らず、剣術にも当てはまる面もある。
 ともあれ、このような柔らかい身心のコツは、元々和歌を詠む原則に当てはめていた「手弱女振り」の感性、とらえ方と通じるのである。
 私にこの物外のことを教えてくれた人は、物外は曹洞宗の師家(老師)でもあったから宗祖の道元が大切にして伝えた「柔軟心」がそこにある、と見ていた。柔軟心とは執われを脱却した自在な身心の働きのことである。
 このように武士や武術の中の「手弱女振り」を考えると、どうも<ハラ>が、一般に男性原理、益荒男振りの方に傾いてとらえられてきたのでは、と感じるのである。そういう偏りは、明治以降、現代まで続いているのではないか。


 もう一つ<ハラ>について、一般に誤解されやすい陥穽がある。それは、現代人のもつ「自分」「自我」「個人」「個我」の意識とのかかわりである。<ハラ>を感得し、自らの身心を統一し、様々なジャンルの芸能ができていっても、その「我」をどういう構図の元でとらえるか、そこが問われるのである。
 私は、伝統的な身体技法やそこでよく言われる<ハラ>について、そのような疑問を早くからもっていた。東洋的とか日本的とか伝統的という芸能や武道など身体技法の相当な達人といわれる人々などのような「自我」の構図のもとに自らを置くのか。私にとってそれは単に知的な関心というより、私自身の生きる方向や力にかかわる、結構身に迫る真剣な課題だったのである。


 特記:実は最近、ようやくそうした難題を解いたと感じている。観念上のことでなく、具体的な技法を伴って解いたのである。そして、存在(イノチ)の原郷ともいうべき<ハラ>が私にも、また多くの現代に生きる人々にもふさわしく装いを新たにして拓かれたのではないか、と思っている。そして、それは当然「自我」が真の意味で「解かれる」ことも含むのである。


あまつかぜーかぐらの息吹
存在(イノチ)の原郷ともいうべき<ハラ>へ

次回へ続く