坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

やわらを入れる(第二部)『もうひとつのからだへ』【手のひらと指が世界に接する】の章—〈2〉

 〈手の内〉を明らかにする…

 我国の剣術では、両手で剣を把るのが通常である。その働きを〈手の内〉と言って、とても大切にする。
 剣の柄を、布巾を絞るように握る、という教えもあるらしいが、これはおそらく、ごく初心のためのものだろう。大体布巾や雑巾もあまり用いなくなった今では通じにくい喩えでもある(伝統的な身体技法の、伝承の教えの多くは、喩えを用いているが、その喩えの対象の風物が周囲に見られなくなって、分りにくくなったものが多い。そこで〈科学〉的説明が盛んになるが、これにも長所と短所がでてくる…)。

 私の場合は、手の内を「うずらの玉子を左右の手のひらの裡に一つずつそっと握るように」という教えだった。きつく握れば薄い殻は圧せられて破れ、ゆるくすれば落ちてしまう。

 剣術などでは、すべての技は〈手の内〉にある、と以前師匠にも聞いたことがある。
 自分の懐に、自由に用いられる武器や物をもっていることを〈手の内〉にする、ともいうが、剣術などでは、技が発揮される以前〈未発の発〉の状態の裡に、術のすべてが既に用意されていることもいう。
 素手で行なったり、簡素な形式の道具を直に手に取って、競ったり生死を懸けたりする武術では〈手の内〉も、素朴に〈手の中〉そのものということになる。その〈手〉が、用意周到、練り上げられ工夫し抜いたものであれば〈手の内〉となり、〈手がない〉〈お手上げ〉ということが避けられる。

 柔術合気道では、手のひらの動きや手首から先の動きが自在になると、身のこなしの自在さ、技の精度、自在度が著しく増加する(その逆も真なりだが)。
 それは単に、相手と対抗したり、拮抗して自らが強くなるというより、掌中に相手を容れてしまう感じである。前にも述べたように、手のひらの中心 ― 体の中枢だから、相手を自分の裡に容れてしまうことになる。もっと言えば、相手との敵対、対決、〈異化〉の最たる状態を反転させ、自分と〈同化〉してしまう状態に変換させる。
 つまり〈敵〉としてあらわれた相手が〈味方〉になってしまうことさえ可能である。
 これが本来の柔術、つまり柔の骨法である。だから柔を〈和 ― やわら〉とも書く流派もある。
 二十世紀に誕生した植芝翁の合気道も相似したニュアンスはあるが、それをもっと進化させているといえるかもしれない。
 けれど、ここまで書くと、柔術や剣術や合気道の体験を、それも一定以上の水準の筋を通して積み重ねていないと、何か世迷い言を夢想のように述べていると思われるかもしれない。
 けれどこれらは、決して観念的で形而上学に終わることでもない。口伝や文章で伝えられていることを、私はむしろまだたどたどしく述べようとしているに過ぎないのである。


 序章の物外和尚の下り*1を思い出してもらえばそのことが理解されるだろう。
 物外和尚をその著書に何度か紹介、解説した禅の思想家田中忠雄氏によれば、武術というと豪傑、強力、勇壮、征服、勝利、勇士などが容易に連想されてしまうが、それは勇壮のムードをあらわした〈り〉の方で一面にすぎない。一方、本居宣長などは、それに対して源氏物語の〈もののあはれ〉などに通じる〈り〉を積極的に評価した。田中氏は、物外の極意の句「鳴神の力も蚊帳の一重かな」も、その〈手弱女振り〉の「たおやか」「柔軟」ムードをあらわしている、というのである。また、我国の曹洞宗の祖、道元禅師が説いた禅の極意、〈柔軟心(にゅうなんしん)〉と通じるともいっている。
 元々柔術や柔の柔の字そのものが、しなやかさ、自在さ、柔軟さを表わしている。
 手首とその先の手のひらの働きは、そういう柔軟さを司る代用的なところなのである。


 ここで田宮流居合の伝書の略図を見ていただきたい。

 円相を囲むようにして、両手のひらが印してある。この左右の手のひらの中に、極意の技も理法も、宇宙も、円満に備わっている、という奥義である。

 とても具体的で実践的、実戦的な技術の粋が、このように一見象徴的な図に収まる…それは稽古に稽古を重ね、工夫を積んだ者にこそ、開かれる英知の扉ではある。けれど、一般の人にも、何か訴えかけるものもあるとも思われるのである。
 端的に言うと、世界との具体的接点が手と指なのだ。(足はまた別の意味があるので後述)


 放浪の俳人山頭火と共にその孤高振りが顕著な尾崎放哉(1885―1926)。彼は大学を出て、大手保険会社の支店長になりながら若くして退職し、句作に没頭した。
  障子をあけておく 海も暮れくる
  こんなよい月を一人で見て寝る
 彼は山頭火とは違って放浪せずに、晩年形式的にはあるお寺の庵の主として喜捨など受けて暮らしていたらしい。
 そこで、
  いれものがない 両手でうける
 人の手を通して、天の恵みがくる。その物が何かは分らないが、ともかく手のひらで受けようとする。手のひらこそは純粋な容れ物なのだ。そこに恵みがきた…多分、貧乏と飢えを感じていたときに、誰かがたくさん、といっても一、二日、腹が暖かくなる程の食物をもってきてくれたときの安堵と喜び。けれどそうした物を受けることが、ほとんど、双手の〈万歳〉へ近づいている感さえある。まるで舞の世界に近づくかのように…。


 井上靖(1907―91)の伝記的小説『孔子』の中に、感極まるような一節がある。
 それは、孔子が、生国の魯に受け容れられずに諸国を彷徨している時のことだった。大勢の弟子の一団を連れて旅する間、ほとんど食料も尽きた時、弟子のある者が、心中深く憤りを感じ、こんな質問を師、孔子にぶつけた。
 「先生、君子(教養も志ももった指導者にふさわしい人間)も窮する(行き詰まってしまう)ことがあってよいのでしょうか」 すると、孔子が答える。「君子とされる者でももちろん窮することはある」(君子固(もとより)より窮す)
 そしてそれに続く次の答え。
 「小人(ものごとを深くとらえず、たしなみのない人間)は、そこですぐに心乱してしまうが…」(小人、窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る)
 ここで、そこに居た直情的な弟子の子路が、孔子に立ったまま深々と一礼したあと、何ももたぬ両手を大きく水平に広げて、思ってか思わずか、ゆっくりと律動的に舞のように動き始める…まるで万歳のように…。他の弟子も各々の表情で孔子の返事に反応する…
 このような場面である。
 ここに、〈天〉と共にあることの突き抜けた状態があるのだ!と、全身全霊で見届け受け取った弟子達の姿がある。〈天〉と共にあることを受け容れることしかできない、けれど、それを純一に首肯する状態…。
 極まった状態が結晶したかのような舞いのような手振り身振りが立ち現れる。…小説『孔子』の白眉だと、私は思った。
 〈恵み〉に感じ、両手を拡げた放哉と、これは相通じているのではないだろうか。
 〈天〉と手、〈天〉と手のひら…の典型がここにある。

                             続く


 

*1:【もう一つの〈からだ〉の見方へ】―(1)2014.04.07の記事参照