坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

やわらを入れる(第二部) 『もうひとつのからだへ』【赤児とマイケル・ジョーダンと仏陀の舌 】の章 ‐ 〈2〉

 仏陀、粥を食す ― スジャータの話し 
 
 長い歴史を通して、人類の多くに道徳や生き方など、たとえ変形されたり、都合よく解釈されることがあったとしても、精神上の価値を支える柱になってきた思想を生み出した者達。
 釈迦、キリスト、ソクラテス孔子老子等、彼らを何人かの学者に倣って「人類の教師」と呼ぼう。
 彼らにまつわる夥しい聖典や書物がある。けれど意外に、その思想の主である者たちと共にある〈舌〉については充分には関心が寄せられてはいないと思われる。私は充分多くの文献に当ったわけでもなく、またその力もないが、折に触れて垣間見ることのある彼らの食や舌についての言説やエピソードに胸を衝かれることがある。その代表の一つが、ゴータマ・シッダルタ ― 釈迦の、スジャータのエピソードである。
 不自由なく暮らしていたインド古代の小国の王子ゴータマは、ある頃から、生きる苦、老いる苦、病いの苦、そして死別の苦に目覚め、世と人生の無常を痛感して、宮殿を抜け出て、求道の生活に入る。これはと思った師についても納得がゆかず、断食して呼吸法を行ないながら、生死ぎりぎりのすさまじい苦行に没入してゆく。痩せさらばえて、骨と筋になって続けていたある日、近くに住むスジャータという女性が、ゴータマのあまりの姿に深い同情を禁じ得ず、一椀の粥を供したという。行者ゴータマはそれを受けた。おそらく、粥の供養は何度にも及んだと思われる。全身に活力が甦ってくるのを憶えたゴータマは、気持ちを新たにさらに菩提樹の下での瞑想に入った。そして、七日目に、遂に〈真如〉を得たとされる。私が仏教を教わった玉城康四郎先生(1915~1999)によれば、「〈ダンマ(法)〉がゴータマの身に顕わになった」のである。こうしてゴータマはサトリ得たる者〈仏陀〉となった。ゴータマが粥を受けたとき、それを堕落と非難して、その元を離れた、宮殿から随いてきていた何人かの同士と再会したとき、彼等はゴータマがすっかり様相が変わって、平安と確信と叡智に深く満たされているのに心打たれ、直ちに弟子になった、と伝わる。
 このスジャータのエピソードが、その後に展開される仏教の教義や理論と共に残されてきたことの意味は非常に大きい。なぜこのエピソードがしっかりと語られ続けてきたのか。
 人を〈解放〉〈最高の自由〉〈サトリ〉へと導き、何億もの人々の人生を支えてきた仏教の祖仏陀、そこには一人の女性のピュアな同情心と、一椀の粥があったのである。つまり仏教の第一歩、根本のところに〈舌〉も欠かせないのだ。
 このように仏教は、厳しい無常観や行や冷静な理論と共に、味、という〈うるおい〉を伴う営みもその源に潜めているのである。
 人は食べなければ飢え、存在できない。そのことは基盤で、いわば〈ハード〉の方である。同時にスジャータやこれから取り上げる哲人や人類の教師たちの〈舌〉のエピソードは〈ソフト〉である。それは何も〈教師〉たちに限らない、食べること、味、舌についての人と生命との関わりを象徴している。
 キリスト教では、イエスが食卓のパンとワインを示して、これを自分の肉と血と想え、といったところから、それに沿ってどの教派でも儀式が普く行なわれている。我国では、そうしたカトリックの聖餐の儀式もとり入れて、総合芸術、社交術である茶道が編まれている。
 神道では、その土地の物産を中心に、穀物、小魚、塩などを供える。こういう慣習化した儀式の食物の例は世界中どの宗教でも枚挙に暇ない。
 私が、ここで取り上げたいのは儒教の祖、孔子(紀元前551~497)である。
 孔子はある時、街角を通りすがりに驚嘆すべき音楽の調べを耳にし、深く感動してその場にしばらく立ちすくんだ。そして、そのあと何日も肉を食べられなくなった、と語っている。
 これは何を意味するのだろうか。
 私自身の経験がある。二十歳台で、創始者植芝盛平翁の存命の頃、合気道の道場へ稽古に通っていた時のことである。一時間の激しい稽古の後、特に夏季は、1kgくらいは体重が減るのが常で、ビールを友人と飲むのが実に楽しく愉快だった。ところが、年に一、二回だが、稽古がとても精妙で〈深い〉感じがするものになる。すると、ビールも酒も飲む気が自ずと失せてしまう。体調は悪くなくむしろ充実しているが、そうなってしまうのである。
 今でも、身体技法〈気流法〉や武道の稽古をした後は、いつもではないが、そのような時がある。たとえ飲んでも、ほんの少量で満ち足りる感じだ。年齢のことがあるかもしれないが、比較的若い人でもそうである(中には、私たちの稽古を始めて、むしろお酒もしっかり飲めるようになった、という人もいないことはないが)。
 孔子も、おそらく、〈からだ〉の波長が音楽によって微妙に調えられ、精妙になり、日頃は摂っている肉類の重厚な質の味が粗く感じて一時的に合わなくなった、と想像されるのである。ここでは聴覚と味覚が連結をしている。
 古代ではないが、近代、西欧で、人間の理性や判断力について深い考察をし、後世に大きな影響を与えた哲学者カント(1724~1804)の例がある。
 彼の残した最も有名な句の一つは
「私の上なる天空の星と、私の裡なる道徳律」だろう。彼はこの句の前置きに、「繰り返し、深く省えれば、常に新しく高まってくる感嘆と崇敬の念で満たされるものがある。」と記述している。
 私はカントにはまったく疎いのだが、ある本の中で、この「…上なる天空……道徳律」を見た時、心を動かされながらも、ここには〈舌〉や〈味〉が欠けているのでは、と思ったものだった。
 自然の生成の見事な成果である美しい星々のことは謳いながら、「私の裡なる…」と精神だけのことになってしまっている。どくどくと血の出る〈からだ〉はどこにある?と思っていた。生(なま)身のイノチの面が、ここではどこかへ消去されているのか……。
 ところが、カントは、哲学者というものは六十歳すぎてからは友人、知人と賑やかに夕食を楽しむべきだ、としていたというのである。ここにも〈舌〉があった。カントは、その哲学中には表立っては充分身体を論じなかったかもしれないが、実生活ではやはり〈からだ〉的にも充実を計っていたのだったか、と納得したのだった。
 舌の喜びと〈いのち〉〈からだ〉はいつもつながっている。そういえば、西洋哲学の祖、ソクラテスは大体において飲み食いしながら対話をして、哲学を論じ説いた。プラトンの筆になる〈饗宴〉はまさにその典型で、舌は愛智(フィロソフィ)について述べると共に、味わい続けていたのだ。
 東洋でも、遥か古代、〈真善美〉という精神的価値とこれまで我々が思ってきたものと舌はしっかりつながっていた。
 それは漢字の成り立ちを通して容易に想像できるのではないだろうか。
                                  続く