坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

松岡正剛氏と谷川俊太郎さん、私共と浅からぬ縁のあった二人が亡くなられた。

松岡正剛(2024年8月12日死去 81歳)

 氏は、「編集工学」を提唱、実践していた。マスコミに、時に知の巨人などと紹介されることも多かったが、これは彼の「編集工学」という発想がすぐには分かりにくかったことがあったと思われる。本人もそう呼ばれることを気に入っていたわけでもないだろう。

 まず、あきれる程の膨大な読書量、その量と質、何よりもその範囲、ジャンルに於いて、彼の右に出るものはそういないだろう。

 この世界のあらゆる事象はそれ以外のあらゆる事象と呼応してかかわり合って展開するというのがその考え方のベースにあった。と、そのようにとらえようとする自分 ー 我もそこにかかわる。

      

 講習先(諏訪湖畔)で諏訪大社神殿に詣る

  (左から)松岡氏、佐藤、坪井.

 

 そうした編集のあり方を追求してゆくと、日本文化に実に精妙でニュアンスのある「方法」がとらえられてゆく……。松岡氏のその例を膨大に挙げてゆく。

 松岡さんはいわゆる「学者」ではなかったが、学者にもまったく劣らぬ見識と寛いセンスをもってあらゆる領域に出入していた。

 松岡氏はそうした「編集」の発想で、おそらく数百冊に達する(?)著書を発表していた。そして、それにとどまらず、あらゆるジャンルに於いて、あるいはあらゆるジャンルを結び編むかのように、各世界の人々を集め、講座や講演、公開シンポジウムを開催し続けていた。そこに講師として登場したり、聴講のために参ずる人々とのまさに多彩そのもののような出入りは圧倒的だった。その数はここに挙げるには夥しすぎるが、私が会場で、その後のパーティーなどで、直接会話を交わした人々の例を挙げてみる。

 秋月龍珉 (禅思想家) 岡本敏子岡本太郎氏の養女でその画業の発表を支え続けた) 土取利行、近藤等則(二人ともミュージシャン) 植田いつ子(上皇后のドレスデザイナー) 安藤礼二(文芸評論家) 大澤真幸(評論家) 清水博(生物学者) 本条秀太郎(邦楽家・三味線) 鈴木清順(映画監督) 山口小夜子(モデル・女優) 田中泯(ダンサー) 前田日月(格闘技家) 安田登(能楽師田中優子(江戸学・元法政大学総長)……

 直接に会話を交わせなかったが、他に、シリコンバレーでITの会社を起こし、日本の若い人たちに大きな影響を及ぼし続ける事業家、勅使河原三郎(ダンサー) ワダ・エミ(デザイナー) 福原義春資生堂元社長) 美輪明宏(歌手) 大野一雄(舞踏家) 藤原新也(写真家) 佐藤優(評論家) 川瀬敏郎(花人)……という具合である。

 まだ、ほんの一部なのである。

 私も松岡氏の主催する講座の講師を気流法ボディ・アートを以て拙いながら何度か勤めさせてもらった。

 その際、彼も実際に実技に参加し、動きを楽しんでくれたものである。

諏訪湖ハイパーコーポレートユニヴァーシティ(2010年1月)で 気流法の稽古に参ずる松岡氏.

 

 1978年からの付き合いであった。

 多摩の丘の上の空き地で、数人の仲間と走ったり跳んだり、大声を出して新たな身体技法を工夫している最中に、2、3人のスタッフを連れてやって来られたのが想い出される…。

 おそらくその日のうちに『遊』の特集「呼吸」に何か書かないか、と言われたのだった。その際、「坪井さん、人に分からせようとあまりこだわらずに思い切って書いてください。」と言われたのが、後で考えると実に意味が深かった。沈着、綿密、そして果断な人であった。その時の私の文を読んでみると、自分ながら発想、表現が躍動していた気がする。

 松岡氏はやがて、私の探究している身体技法に「気流身体瞑想法」という名を考えてくれた。これが「気流法」の名の元になったのである。

 色々と書きたいことはあるが、今はこのくらいにする。「合掌」