坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

肉体と芸術創造  芸術におけるもう一つの視点(後編)

存在の呼吸
 造型美術──絵画となると、肉体の役割はさらに鮮明となると同時に外面的な動きやポーズと作者の〈内面〉の関係が微妙に呼応してゆくプロセスとその構造がはるかに見えやすくなる。

 ポール・クレーは、頭で描くのだ、手で描くのではないというミケランジェロの言葉を銘記し、自らも「頭に浮かぶ線をそのまま純粋に表現する」ことを望んでいた。だがこのように頭脳的、思考的な造型作業を主張したクレーが、身体の姿勢や運動と、描かれる線との関係を重視していたことは示唆的である。彼がバウハウスの画学校で学生達に教えるとき、「‥‥教授(クレー)は、暫く歩いてからひとつの画架に歩み寄った。彼は木炭を掴むと全神経を集中して‥‥まるで電気にかかったようだった‥‥突然続けざまに二つの線を引いた‥‥一番上の油紙に描かれたのは二本のエネルギッシュな垂直、平行の線である。すると学生達がこれを真似て描くのだった。教授はこれに手を加え、とくに二、三の学生に対しては描く姿勢までなおすのである‥‥今度は同じ練習を立ったままでやらせた。このやり方は感情の動きのままに身体の機能を修練する、ある種のマッサージと考えられなくもない‥‥」(クレー著『造型思考』土方他訳)
「絵画芸術は運動から発し、それ自身定着された運動であり、運動を通じて知覚される」というクレーの主張からすると、このような身体の重視は当然のことであろう。なぜならあらゆる運動認識の根源は、我々自身の身体運動だからである。


2016年パリで開かれたクレー展のカタログより

 画家が線一本引くのに手の筋肉はもちろん身体全部の集中、ポーズ、力、呼吸がどれ程重要なことか、特に、線をその生命とし、いわゆる気韻生動を目指す東洋画では、明瞭に意識されてきたといえる。土佐光起の著と伝えられる画論では気韻生動を気運生動と言いかえて「気運とは、まづ描かんと思ふ時、気を身体に充満して天地に亘る心にして何心なく書き出すと云なり‥‥」と言っている(水尾比呂志著『東洋の美学』より引用。傍線坪井)
 しかし事態は西洋画、東洋画を問わない。水尾氏も言うとおり、この土佐光起の画論は東洋の画法をごく平均的にあらわしたものに過ぎないが、哲学者メルロ・ポンティが柔軟精緻な思考を繰り広げた『眼と精神』(滝浦・木田訳)の一節を読むとこれと地層がどこかで確かにつながっている。
「見えるものの太古の基底では、画家の身体を浸す何ものかがうごめき点火されるのであり、そして他方彼の描く一切はこの誘いへの応答であり、彼の手は『おのれからはるかに遠く隔たった意志の道具以外何ものでもないもの』となるのだ‥‥」
 前半が光起の「気を身体に満たす」というくだりに符合し、後半の手の記述が「何心なく書き出す‥‥」に当たるとしても、それ程牽強付会とは思えぬが、ここではそんなことよりも画家の〈身体〉への考察が注目されるべきだろう。メルロ・ポンティはさらに続ける「‥‥『ある種の火が、生きようとして目覚めてくる。道案内の手に導かれながら、この火はカンヴァスを襲い、カンヴァスを浸し、次に飛び散る火花となって円環を閉じる‥‥つまり眼とそれ以前のものへと還っていくのだ。』(クレー)この回路には断点もなく、どこで自然が終わり、どこから人間とか表現が始まるのかを言うことはできない。むしろ無言の存在そのものが自分でおのれ自身の意味を表明化するにいたるのだ‥‥」ここまでくると、私のような素人には、東洋画の精髄そのもの、または自然と人間の深い微妙な交流を語っているかとさえ思われるのである。

 メルロ・ポンティは、絵画はいつも肉体的なもののうちにある、画家はその身体を携えていると説く。この場合の身体とか肉体は、皮膚によって外界と仕切られた肉の塊りの意味でもなく、単に外界の刺激に反応する神経系統としての生物体でもない。生態学者ルネ・デュポス流に言えば、反応するよりも〈応答〉する身体を持った人間であり、この〈応答〉はたとえば、画家が描こうとして森を凝視しているうちに、彼が森を見ているのではなく、逆に樹々が画家を見つめ、画家に語りかけるように感じ出し、そこに森と画家の間に呼吸のような交流が生じる。この呼吸のなかから線が生じ、色が生まれるそのような地点まで深まる。この時、画家の身体は、依然として客観的には皮膚によって外界と仕切られた肉の塊りでありつづけながらも、次第に巨大に深く密になってゆく呼吸のなかに融合吸収され、やがてはこの〈呼吸〉のみが存在することになると私は思う。メルロ・ポンティはこれを〈存在の呼吸〉と呼んだが、これは比喩としてではなかったのだ。私には、ほとんど荘厳と形容したい〈存在の呼吸〉と、あのカザルスの〈黄金の重み〉が重なって見えてくるのだが、どうだろうか。

絵画における肉体性
 少年時に騎馬や狩猟など地上のスポーツ好きであったロートレックは十四、五歳で再度の事故のために下半身が不具となり、成長が止まった上スポーツもできなくなった。
 彼は騎士とかサーカス、ダンス、自転車競走を描きつづけたが、それは運命に拒絶された下半身の活動を想像の中で展開し、画面で花咲かせたようであると、ルネ・ユイグなども言っている。ごく常識的にはこれは〈代償行為〉とされよう。だがそう解釈しただけではそこに含まれる大切な意味が逃れてしまう。
 むしろこれは、対象と画家との間の交流の中での肉体の問題と関連して把握すべき現象だと思われる。ロートレックの〈皮膚で仕切られた肉〉としての身体はその下半分の機能を失った。だが、画家はその身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える(メルロ・ポンティ)というあの呼吸そのものと化しうる肉体──私はこれを〈真の肉体〉とさえ呼びたいくらいだ──は依然として健在であり、かえっていよいよとぎすまされたのではないか。逆説的な言い方をすれば、外面的に下半身の筋肉を彼よりはるかに激しく運動させることのできる通常の健康な人間よりも、ロートレックは運動の精髄に肉薄していた、と言えるだろう。

 先日、アメリカでは高名と聞くスポーツ専門の画家の個展を見た。テニス、バスケット、波乗りなど人体の躍動が原色となっておどり、それなりに印象があった。ところが日本の大相撲を描いているのを見て驚いた。他の絵にくらべて力士の動きが実にぎこちない。よく見ると相撲独特のあの足の裏を大地にぴったりつけて〈腰を割る〉下半身の勢いがまったく出ていない。絵の横綱輪島の足腰が死んでいて小学生にでもひっくりかえせそうだ。
 文化の伝統の違いが出たともいえるだろうし、この画家もあまり相撲を観察する機会がなかったせいもある。だがこのことはなかなか面白い真実をあらわにするのだ。
 体を動かす芸やスポーツで、他人の行う技を見る際、自分もそれができるか、あるいはできる可能性に満ちている場合なら、見た技の形や動きは、はっきり体に残っているもので、後で目をつむっても、そのイメージは楽に浮かびやすいし、自分でやっても比較的たやすくできるようになることもあり得る。
 だが、その場でいくら目をこらしても見本の技がすっきりと脳裡に刻みつけられないような時はまだ機が熟していないというべきか、もちろん後で思い出すこともできないし、自分でやることも不可能に近い。
 その技に関心をもつ者はその人の技を見るときには単に見るのではない。自分も体で一緒にその技を行なおうとするのである。これを日本の伝統芸などでは〈見取り稽古〉といって重視する。見ることは即ち行なうことである。(これは現在では、「ミラー細胞」によって解明されるということになろうか……。)
 さきの下手な相撲の絵の場合、アメリカの画家の記憶の中に、ということは彼の体の中に、地面に足を吸いつけて重心を落として動く運動がなかったので、彼の眼もそういう動きが眼前で行われていながら、それを逃してしまったのである。
 これは美学や心理学では感情移入で説明される現象かもしれない。先の気韻生動やメルロ・ポンティの〈存在の呼吸〉でも感情移入で一通りの説明は可能であろう。私はまったく美学には疎いが、〈感情〉のみではとうていものたりない気がする。もっと直(じか)で体感でき、核心的で、非常に肉体的な現象と思われるのだ。
 クレーは、動きを講義する際、ごく簡単な直線で、不安定な何かの生き物のような図形を描いて「わたしたちは感情移入してみて、自分達自身がこの構造物であって、小さな足で立たねばならず、倒れてならないものと考えてみよう。静止させることができないならどうすべきか。倒れないためにはまず片足を動かし、たぶんその後でもう片一方の足を動かす‥‥そしてしまいに歩き出す。歩行は均衡を容易にする‥‥」(『造型思考』)という。
 図形との感情移入といいながら、それがあっという間もなく自分の身体の動きの実感による思考へと移行する。すでに身体は世界に貸し出されてしまった。取り戻すには画の完成へ向かう以外にない、とクレーは言っているかのようだ。造型思考とは身体思考ではないか。
 そしてこの〈運動〉はさらにもう少し深い課題へと自から発展してゆく。

 セザンヌが知人ギャスケの前で、モチーフを掴んだと言って両手を握り合わせた。「モチーフとはこれだ」セザンヌはさらに両手を離し、両方の指を拡げて、またこれを静かに近付けて握りあわせ、一本一本の指をしっかり組み合わせてこの動作を繰り返しながら説明した。
「こういう具合にモチーフを捕える‥‥上に出し過ぎても、下に出し過ぎても、何もかもめちゃくちゃになる‥‥少しでも繋ぎが緩んだり、隙間ができたりすれば、感動も、光も、真理も逃げてしまうだろう‥‥こんな具合に、私は迷っている両手を組み合わす、私は左から右からここから、あすこから、どこからでも色調や色彩をもってくる。そしてこいつを固定する。すると線ができる、物になる、光になる、樹になる‥‥そいつらが自ら量感を装う、明度を手に入れる‥‥」(小林秀雄『近代絵画』より引用)。息づまるような集中である。両手を握り合わせた動作はいわゆる比喩に終わるのではなく、彼は切実に、文字通り手で掴むように自然を把みたかったに違いない。

〈立つ〉ことの意味
 画家の肉体と制作の関係を方向をかえてみてみよう。
 私の知っている画家はここ数年、ビンをテーマにして描きつづけている。様々のサイズや形、色のビンを追求して、そこに宇宙と個我の生命の関係を感じるのだという。
 彼が、たとえば左図のようなビンを描くときのプロセスが面白い。aのビンの口のところは比較的何気なく描くが、bからc点とdからc点の二つの縦の曲線の時は、突っ立ったままでなく、体全体が柔らかくしかも弾力をもって働けるように腰を少し落として、息を止めるか、ほんの少しずつ吐き出しながら一気に下ろして線を引く。この二本の線によって、描かれたビンの生命が決まるのだという。ビンの生命と彼の全身の動きの活力とが筆先で一致しながら形があらわれる。

 もちろん、今までも触れたように、絵のタッチや書の筆勢で、生きた線とか死んだ字とかは、よく言われることで、こと新しくはない。

 たとえば、宮本武蔵の『枯木鳴鵙図』で、縦にのびた枝の線が、無言のすごい気迫で、空間を刀で斬ったようだとして知られている。私個人としては、武蔵の絵としては、もっと柔らかみの出た鴨の群の図などの方が好ましいとは思うが、『枯木鳴鵙図』の枯木の鋭さは、剣を通しての肉体と精神の鍛錬をぬきにしてはあり得ないことはたしかである。
 ビンの画家は、大地に生えている樹木を描く時のことも話してくれたが、木は地にしっかりと根ざしながらも上昇的なエネルギー運動そのものの勢いを最も直にあらわすので、調子が悪かったりすると、その上昇の勢いに自分の呼吸がついていけなくなる。描く者自身の生命の勢いが、直立する姿勢を難なくとり得るほどに内に充実していなければ木は描けない、と同時に木が大地に根ざすように、自分の足元がしっかりしていなければならない。他の何よりも、直立する木を描くのが自らの試金石となる、と話してくれた。
 単に外界と皮膚によって仕切られた肉の塊りとしての肉体が漫然と立つのでは本当に〈立っている〉ことにならない。これは逆に言うと、画家が、たとえ創作の際に立つポーズをしていなくても、時には、仮に障害のために肉体的に健常者のようには立つことが不可能でもよい。いわばその人間の〈実存において立つ〉ことができる者のみが描けるのである。
 林武も、人の全身像を画くには「結局脚腰、腹を把握することが最もむつかしく、それはものの存在を根元的につかまえることになる」(『美に生きる』)という。それには画家自身が真に〈存在〉していなければならぬ。そのことが〈立つ〉ということに最も端的に象徴されてくるのである。
 といって、それは肉の塊りとしての肉体と無関係に精神的に立つというようなことではない。それでは精神主義というグロテスクな形而上学になってしまう。肉体という大地は常に賭けられ、現場にささげられていなければ創造はあり得ないのだ。樹も岩も山も裸だ、なぜ人間の肉体のみが裸を拒否してよいか。

 実験的な意図をもった──少なくともそう称される──作品を見ると作品そのものに惹きつけられる以前に、その作者の貧弱な、大地に根ざすことのできない肉体の方が先に浮かんでくることがままある。決して肉体の強壮のみを賛美しているわけではないが、たとえばピカソのあの頑健そのものの肉体を抜きにして、彼のすさまじく変転していった画業は考えられないだろう。彼の水彩画の作品で、草花の束を両手で無造作につかんでいる写生があって、私はその複製を見たにすぎないが、その指は太く、手の表情は頑丈でしかも強欲、ここでは植物をむんずとつかんでいたが、できたら画面から出て、部屋の中の空気さえも握ってしまいたい、そんな感じさえした。間違いなく手はピカソ自身のものでこんな手の持主の心臓もあきれる程強いに決まっている。

 セザンヌも若い時は「肉体は頑健でなければならない。肉体が弱ければ精神につかえることはできない‥‥」というゾラの句を愛し、驚く程の健康を誇っていた、という。苦労に早く老け込んだにしても、前人未到のあのがっちりした構築的な絵を描いて何年も堪えられたのにはその頑健な体があったことは無視できないと思われる。
 六十歳台の絵をワカガキとして未熟視され八十四、五で更に新鮮な脱皮を続けていった富岡鉄斎。九十三歳で往くまで九州から北海道まで、体力を要する厖大な木彫を各地でものしつつ文字通り二本足の行脚をつづけ、ようやく八十歳で、決定的にその技と表現が開花し切った木喰上人など、西洋の近代絵画とまったく色合は異なるといいながらも、その〈肉体〉ぬきでは、彼らの仕事は考えられないのも事実だ。

 すべてのものごとと同じく、ここにも対極的な事実がある。近代の多くの芸術家の生涯は、奇妙に不安定な身心──この二つは本来分離して考えることが難しい──の病歴書と並行している。すでに古典的なものは健康的であり、浪漫的なものは病的であると断じ切ったゲーテさえ、芸術家の仕事はきわめて繊細な生理構造が要るので、彼らの体は非常に傷つきやすく病気がちになる、と認めている。
 その後も現代におよぶまで多くの医学者や心理学者が天才達の脆弱な身心と、きらめく才能との関係をさぐろうとしたが、少数の例外をのぞいて、むしろ自らの説を天才達に押しつけて語らせようとしたにすぎないのではなかろうか。
 今、病弱の画家や芸術家の創造性と肉体の力学を追うことはできない。
 だが、次のことは言える。彼らの病いは、その創造への衝動のきっかけになることがあったにせよ、創造そのものは病気や障害にもかかわらず、あるいはそれを乗りこえてなされたのであり、その乗りこえ方の中にこそドラマもあるのだ。
 肉体と芸術家の間を分かりやすい関係に置き、気のきいた一定の法則を打ち立てることは誘惑的ではあろう。しかし最も身近な〈自然〉そのものに他ならぬわれわれの肉体が、巨大複雑な宇宙に匹敵して限りない謎を含むという、生々とした驚異を新たにしていかないならば所詮は空しいと思われる。そして、そのためには、その論者自体の肉体が問われ続けなければならない。
 画家のみではない、すべての人間は身体を携えてこの世界に息づいている。それはあらゆる文明、文化の根底の事実そして条件であり、生きることそのもの、したがって死ということそのものもそこに根ざす。芸術家も、つねにこの肉体という大地にたちかえらねばならない。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あとがき

 この文は、1974年、私が30代の時、様々な身体技法の習得、体験を重ねていた頃のものである。実践と並行して、身体と自然の思想や哲学などについても探求していた(これは今でも続いているが)。
 その頃、今でも続いている新潮社の雑誌『芸術新潮』と同じような体裁で出版されていた『芸術生活』の編集者に依頼されて書いた。

 ここにに出てくる芸術家達は、その多くが名の知られた人々である。けれど、全般に私のような〈身体〉の視点で彼らの創造を取り上げたものはあまりないだろう。
 もう40年も経ったのだが、今でもその内容は通じると思う。何よりも、私が「身体の文法」を発想して、今のように身体技法∞気流法を編んだ、そのアイデアの元の多くが、すでにここにあるのは自分でも驚くのである。

 そして、当然だが私は、ここに登場する芸術家達の述懐しているその創造の過程での身心の体験などについて、当時は驚嘆と憧憬の念を抱いていた。けれど今、自分なりの体験を積んできてみると、自分がそうした状態の多くを、ジャンルは異なるが自家薬籠中のものとして、味わっていることに気づくのである。
 たとえば、冒頭のところで、パブロ・カザルスが、チェロの演奏中に「黄金の重み」を感じる、とあるが、とてもよくそれが分かるのである。この頃は、音楽のジャンルではないが、身体技法――武術の柔(やわら)の技の中でそれを痛感することも多いのである。また、メルロ・ポンティの哲学書や、小林秀雄の著にも見出したセザンヌの「把握」も、とても鮮明に実感できる。私はそれらは合気道創始者植芝盛平翁の述懐するところにも通じることを痛感していた。

 さて、このような心境というか、統一状態からくる一種の三昧のようなものに通じること……それも大切だが、もっと見るべきなのは、こうした創造の過程を通して、人間の生命あるいは存在と、宇宙や自然とのかかわりではないだろうか。
 私は、それを、身体技法(∞気流法・やわらげの武道)によって、実感、体現できるべく工夫してきたのである。
                       坪井香譲(本名、繁幸)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・