坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

体感・体現はここまで〈進化〉する……私の体験から

 次の文章をブログ再開への序文とします。


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 私は、武術、瞑想、舞、健康術などを〈身体の文法〉を通してまとめ、当初は便宜上∞気流法と名付けたけいこを、時に系統だって、時に想いのまま実験的に行なってきました。何年も続けているうちに、随分と感覚も感じ方も変わってきました。
 たとえば、自然体で立って、ゆっくりと背伸びをする際、足の裏については、通常なら、「床から足の裏が浮いた」、そして沈めて「地に着いた」で済みます。


 ところが、このごく簡単な説明で済むプロセスを、もっと細やかにとらえてゆくと、とても複雑なことが感じられてきます。まず親指(第一指)の傍に力が入って、そのあたりの筋肉が緊張し、同時に踵側が浮いて上がってゆくが、その際、地に沈んでいた踵は外側の方から圧力が消えてゆく、そして、小指側、つまり外側は、より外側へと張りをもってゆく…と、おそらく、もし描写するとすれば、四百字原稿用紙十枚にでも書けるくらい、ゆっくり背伸びしてまた足裏を降ろす、という動作の内容が意識されてくる筈です。つまり言語になってゆくことになります。上げて下げてという通常なら二つで済む情報が、ほとんど無数の情報になってゆく。それは、それだけ密に感覚が拓けるということになります。
 海岸線のわずか一メートルが、その曲線に沿ってゆくと実は無限の距離になるという、数学上のとらえ方がありますが、感覚もそれに似ています。
 これは決して空想を戯れに言っているわけではありません。


 たとえば、宮本武蔵佐々木小次郎の決闘で武蔵が一瞬で相手を斬ることになっていますが、武蔵自身は鉢巻きを斬られて、ハラリと落ちる、というシーンがあります。これは小説ですが、もし、剣士の感覚が発達していて、〈一メートルの海岸線が無限の距離になる〉ようなら、相手の剣が鉢巻きを切断するその間も、随分長い距離 ― 時間になることになります。その間に、熟練した剣士は、頭や首を微妙にコントロールして、身が斬られるのを避けることができる、ということになるでしょう。
 様々な手仕事の職人などが何ミクロンかの材料をコントロールするのでもそれに似ています。プロ野球の打者が好調時は速球が緩慢に見えることもそうでしょう。


 私の場合はこの何十年かにそのような感覚が発達して、たとえば足の裏の皮膚の厚さを感じてその厚さを操作して浮かせるようにもできることになったりしました。
 大体、感じなければ本当には操作できないのです。感覚を拓くことと、その部分の身を動かしたりすることは裏腹のことです。
 このような感覚が発達することで、様々な、青年時代には夢か幻と思っていたような(けれど諦めていたわけではありません)技がいつかこの私にも可能になりました。


 また、とくに青年時代に出会った合気道植芝盛平先生の技に、何というか、単に武術で〈強い〉というより、また相手を圧したり制したりするという〈術〉の強さだけでなく、そこに〈宇宙的〉なものがあったことあらためて、とてもはっきり実感できるようになりました。エスペラント語という、世界のユニティーへの夢をもとにユダヤ人のザメンホフ(1859~1917)が考案した共通語を日本で他に先駆けて注目し、その団体を作ろうとした出口王仁三郎師を尊敬している、と私にも直に語られた植芝翁は、いわゆる武術からもう一つ、それを〈宇宙的〉舞へと展じようとなさっていました。それは世界の真の意味でのユニティへのヴィジョンと通じるものでしょう。


 植芝翁の合気道ではなくても(それは時代や環境の違いも影響しています)、私は私なりに〈宇宙的〉な舞と武の融合がようやく可能になった、と思っています。それが〈身体の文法〉に基づく〈やわらげ〉の裡にあります。そのこともごく最近改めて気付きました。そこには必ず想像力と言葉と身体の三つが息づくのです。そのように気づくことが、古代から伝わるものを未来へと脈動のように伝えることになるでしょう。


 想像力と言葉と身体のその三つを探究して可能になったことをもう一つ書きます。
 私が前方を見て立っている時(自然体)、前を見ている私を、もう一つ、私の後方に私の目(まなざし)があってとらえているのです。つまり、私の後方から大きく深く私を抱くかのようにとらえている視野というか、何かひろがりのある働きが感じられるのです。
 必ずしもいつもではないが、そうなった時は、私の肩は緩み、腰は自然にゆるやかにのび、腹はゆったりと気が充ちています。〈上虚下実〉〈頭寒足熱〉は自ずとなっている、その時は私はそう感じることができます。リラックスと集中が稔っている体勢です。そこから様々な働きが出てきそうです。


平成二十五年十一月十八日

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お知らせ
「やわらげの武・香譲塾」特別公開期間(2013年12月〜2013年5月の半年間)を実施します
詳細は∞気流法の会ホームページ参照


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「たま」の武術 ― 遊星的舞・・・

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