坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

〈やわら〉を入れる ー 共感の力へ《11》

直立した人は〈翼〉をもつ
 人間が人間となった、その原点の直立二足歩行の体勢が、這う物達の体勢からどのような過程を通って変容していったのか、何故、立つ姿勢を獲得したのか、必ずしも説は定まっていない。
 けれど、這う状態と比べると、立つことはとてつもない程不安定であることは容易に想像できるだろう。
 人間、立つことができても、スフィンクスの謎なぞにあるように、四本足(赤児)から二本足(成人)になり、やがて三本足で杖をついて、遂には大地に身を横たえる。
 人体が不安定な状態の中で平衡をとることができるのは、三半規管、皮膚感覚、筋肉感覚、視覚等の総合的な協力によるけれど、油断すると、容易にその平衡は崩れかねない。
 人間は、疲れ切ったら身を横たえたくなるし、相容れぬ敵対する者を、終局は倒したい、と思ったりする。
 日本で長く続いていたTVドラマ「水戸黄門」では、反抗する悪人が、遂には、時の権力のシンボルの葵の紋が印籠に描かれたのを突きつけられ「頭が高い!」の一声で、平伏して降参することになっている。垂直に立つ頭を下げるとは、「我」を立てるな、ということでもある。
 晩年まで頭脳明晰で活発に論じ、書いていた、小説『死霊』で著名な作家、埴谷雄高氏(1909〜1997年)は、さすがに最晩年には体調を崩し、衰えて身を起こして背骨を立てることもできなくなった。つまり、垂直方向に沿って身を保てなくなった。彼は、自分はもう、それまでのような思考活動はできなくなった、と筆を抛った、という。もはや思考できない、と、気付いた彼のその思考はさすが鮮やかに「白鳥の歌」ぶりを見せたのだったが。

 人間の身ごなしも、何かの技も話す言葉も、ひいては文法も直立姿勢の中で生成されたものであるから、思考して言葉を用いること、あるいは言葉を用いて思考することは、すなわち、直立という重力と人間の関係の織りなす過程の裡に生ずるのである。
 その直立は、前述のように、同時に極めて不安定であり得る。不安定であることは、精神的には不安な状態であり、それは緊張の状態を強いる。そして緊張の状態が、意識の目醒めにつながりもするのである。

   足うらの 広さに人の立つ不思議
       薬師寺のうへ 雲流れゆく
               ― 福田 光子 ―

 この歌については、私はこれまで何度も拙著、拙文で触れてきたが、もちろん、この「本歌」は、

   行く秋の 大和の国の薬師寺
      塔のうへなる 一ひらの雲
               ― 佐々木 信綱 ―

である。「本歌」が、秋の気配ただよう、ゆったりした大和の国から薬師寺の塔一筋へと視線が集約し、さらに、その目線が塔の頂へと上がって、雲へ到ったとき、そこに蒼穹が広がる……。大らかさと、天空までたどる意識の動きを味わえる歌である。  
 それに対し、福田氏の歌は、そのような壮大な世界に面している際に、ふと気付けば、自らの身は大地のごくごく一点に置かれている、置かせてもらっている、というある意味では実に女性的な感性の表現である。(ちなみに、敢えて「科学的」な分析的な視線を入れると、人の足の裏の面積は体表の二百分の一とされる)。
 この歌に極大と極微の照応を見ることもできる。
 実際立つことそして歩くことは、それ程に特別な、不安定極まりない営みなのである。
 この随想録の前号『〈やわら〉を入れる―共感の力へ』《10》に述べたように、本来は「懐」とすべき、我が親しい「内」とすべき元々は「下」にあった場が、前方へと拡散した。果てしないその場に、不安定な姿勢で対面するのが人間である。だからこそ、人は、言葉を用い、意識を働かせ、動き、思考し、想像する。そうして、いわば欠けてしまった安定、安心を補い、満たし、消去しようとさえするのである。
 すべて、立つ姿勢と呼応している活動であり能力だが、休憩や病のときは別として、夜の間は身を横たえねばならず、やがて命が尽きたらやはり身は横たわる宿命にある。思考も言語活動も道具を用いることも個人としてはすべては終わる。
 けれど、人間はその「有限」という限界さえ超越しようとするのだ。つまり永遠(とこしえ)を欲し夢見てきた。(これは死後に「霊界」がある、とか、ない、という問題と少し異なる次元のことである。)
 その端的な営みが、宗教であり、今一つが芸術あるいはそれに準ずる「技」の世界である。物を作ったり、物に働きかけたりする職人の術や身体を通して表現する武術やスポーツなどがこれにあてはまるだろう。言葉を通して創造したり思考したりすることも、「術」に含められるだろう。これに加えるならエロス的交流を含んだ人と人の交流も含まれよう。
 けれど、私が、ここで述べたいのはそのような宗教や芸術や職人技、スポーツ時の既成のジャンルに分けられてしまう活動でもない。むしろ、そのようなジャンル分けされる活動以前の直立して人間になったという意味での人間の原存在様式そのものに含まれる、潜在的な可能性、というかエッセンスである。
 だから、逆に言うと、ここにあげた様々なジャンル分けされる行為にも、すでに、そういう潜在的な可能性が、立ち現われてきている場合がある。けれど残念なことに、それぞれのジャンルで、そういう、立ち現われて実践さえされている活動、表現、技が各々別々のもの、と思われてしまっているのである。
 人間が立ち上がり歩行を始めた、その原点に立ち戻る、という先号に間 章氏の言葉を挙げて私が言明したところの意味を、具体的に挙げてゆく。
 ここで読者にお願いしたいことがある。これから挙げてゆくだろう例の一つ一つは、とても特殊で時に奇異と思われかねないものがあるかもしれない。けれど、全てを通して見ていただくと、どんな立場であろうと一人一人の人間が心当たりのあることにつながってゆく筈だ、ということである。

 人は直立した、不安定極まりない状態に入った。
 けれど、足を大地に着けていても、その上部は、もっと言えば足の裏から上は浮いている。浮遊している。足を大地に着けようと踏ん張っても、ごくごく一瞬のことに過ぎない。この不安定、浮遊状態から、人間は、おそらく実際に飛翔する鳥や虫などに想像力を刺激もされて、たとえば人面でライオンの胴体と鳥の翼をもつスフィンクスや蛇の髪の毛と鱗で覆われた胴体、背中に黄金の翼をもつ怪女神メデューサなどの怪物、そして飛びながら愛の矢を放つ幼形のエロス(キューピッド)やアテネの異名という説もある勝利の女神二ケなどを創り出した。けれど人類はそうした天空を飛翔することへの憧憬や畏れを、世界、宇宙の究極的な存在と人を結ぶ働きとして、より強く夢想したといえるだろう。たとえば天使や天人など空を飛ぶ者を想像した。また、飛んではいないが蓮の花にふわりと着地したばかりの風情で立つ仏像群もその系譜に入れられるだろう。それも一つ。と、同時に、この不安定、浮遊状態を積極的に、精妙な感覚で受容しつつ、身心の活動に実践的に活かした人間達がいたのである。そして天人など想像された者達と実践に活かした者達が融合してしまったという伝聞もあるのである。
 

 


スフィンクス    ニケはアテネの異名の説もある  キューピッド  能「羽衣」の天女


 そのような生身の人間でありながら、浮遊し、「飛翔する」者達、つまり「翼」をもつ者達の伝えられてきた伝説と実話を挙げよう。

 私がこれまで現実に出会ってきた身体技法のプロ — 武道家の何人かはそういう〈翼〉体験をして私に語ってくれている。そして私自身、長く武道に取り組む中に、かつて二回だけだがそういう体験をした、と思ったことがある。その他、伝記等でそういう〈翼〉の体験も伝えられる武術や舞踊のケースも多い。
 けれど身体技法の鍛錬をし、熟達した者のみが〈翼〉をもつのではない。
 私たち、人間全てが、天人や菩薩の如く〈翼〉やそれに類する構造と能力をもつ。飛翔する「機構」というべきものを私たちはその身心構造の裡に秘めている。
 私は、いわゆる一般の〈素人〉を相手に、様々な身体技法を伝え、様々な実験を、何十年も繰返しつつ、そのことに気付いてきた。
 それは、次に書いてゆくように、決して神秘的な能力などではないのである。
 〈翼〉はまさに人間性そのもの、人間の原点としての直立二足歩行の構えそのものに潜んでいたのである。(だから、もちろん障害で立てなくなった人にも、そのことは共通しているのである。)(つづく)


平成二十四年六月二十九日