坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

共感の力(改題・〈やわら〉を入れる)《7》

 合気道や〈ひかりの武〉の稽古をしている中に、バッハの音楽に目覚める。
 レストランのマネージャーの仕事に打ち込んでいると、いつの間にか体術の技倆が上がっていた。(連載《6》より) 
 なぜそうしたことが生じるのだろうか。どんな過程がそこにあるのだろうか。
 私はそこに〈共感の力〉が働く、と述べたが、しかし、そういう言葉だけではあまり意味がない。共感力の構造が、どこにどのように働くかが問題だ。
 私は、一九七〇年代頃から、人間の様々な活動や術(アート)には、必ずそこに、たとえ目立たなくても、身体が係わっていて、その係わりの中にある種の根本的な法則性がある、と思い始め、それを〈身体の文法〉と名付けて、その〈文法〉を感得するために幾つかの具体的なエクササイズを工夫し、提唱してきた。
 たとえば分りやすいのが呼吸。


インドでは頭を横に振って「はい」と肯定する

 私は若い時インドをあちこち旅したが、当初は、大都市ボンベイ(今はムンバイと称す)で、ある家族に世話になった。そこに泊まって一週間たったころ、そこの十代後半の長男が、椅子に坐る主人(つまり父親)の前に立って何か、その地方の私にはまったく分らぬグジャラード語で話しかけるのを真剣に聞いていた。ところが、父親が何か話すたびに息子は頭を横に振っている。私は一々父親の語ることに拒絶の意を示しているのか、ちょっとの間唖然とした。それまで息子は客である私にもとても親切で物静かな感じで、従順そのものの態度の青年と思っていたのである。何事かと思ったのはほんの少しの間で、私は気付いた。ここでは、首を横に振るのが私たちが縦に振るのと同じく肯く身振りだったのである。私はそれから何十年かして、ギリシャを旅している時にも同様の身振りを見たが。
 このように表面は全く反対のように異なる身振りでも、実は、呼吸は、肯定の際は、吸う息の方が盛んになっているのが通常である。つまり相手の言うことやその相手を吸気と共に受容しているのである。
 たとえば、講義などで私の話を聞いていて話の内容を肯定したいときは吸気が盛んになり、否定の気持ちが強く排斥したいならば呼気が盛んになる。もっと強く拒絶したいなら嫌悪感が湧き、遂に吐き気さえ覚えるかもしれない。瞳孔も縮まっている。
 表層のことでなく、一つ〈奥〉というか見えにくいところに、あまりゆるぎのない確かな法則性がある。呼吸に限らず、このような働きを私は〈身体の文法〉と呼んだのである。おそらく民族性や時代を超えるだろう。つまり少なくとも直立二足歩行をしてヒトとなったとされる人間に共通のことのはずである。
 一般には少し堅苦しい言い方をすれば、世界を認識するには、人は知的な作用が主となると捉えがちだが、実はそこに〈呼吸〉や、次に述べるような他の身体的な反応が常に微妙にかなり精妙に働いているはずだ、と、私は二十歳台過ぎ頃気付き出したのだった。(私は高校時代から、評論家の小林秀雄の著述に強く影響されたことがあり、遂にはアポなしでその家まで一人訪ねて、話しを聞いたこともある程であった。小林秀雄は私が〈身体〉に目覚め、自覚的になることでそのきっかけになってくれた一人だ。と同時に、この尊敬している思想家の「身体観」には、少なくとも私にとっては何かもっとそこに加えないといけないものがある、という思いも強くなっていた。そのことについては別に述べたい。)


〈身体の文法〉の発想

 ともあれ、私はやがて呼吸に限らず他の様々な側面をもつ〈身体の文法〉の発想に基づいて、その文法を感得するための簡単なエクササイズを工夫していった。
 また、逆に〈身体の文法〉によって様々なジャンルの身体技法―武道(剣術や合気道等)、健康法、スポーツ、職人芸といわれるものの幾つか、芸術表現―を私なりに把握していった。遂には言語活動をする作家達さえその身体性とその文体や表現の内容がそれなりに深く密にかかわっていると気付いて、それを短いエッセイにまとめて、ある芸術雑誌に載せた(註1)。そこには一切武道のことは出てこない。

 〈身体の文法〉には呼吸の他、リラックスと集中、〈気〉― 生体エネルギーの中国、東洋の概念だが、元来世界の各民族に似た概念は伝わる ― 、〈重力〉とのかかわり、身体の中心と脱中心、イマジネーションの働き等々がある。通常は省みなくてもやってゆける。けれど、〈文法〉を敢えて意図的に捉え、それを意識だけでなく体全体で実感して、実現してゆけば、行うことや術(アート)が何であれ、より安定し、より広く、鋭く―つまりよりよく活動ができる、という発想である。
 実は、私自身は何をしても、身体的活動が自由自在にゆかない、と痛感せざるを得なかったことがあった。学生時代に触れた武道―合気道でいうと、八十歳を過ぎた合気道創始者植芝翁に目の洗われるような技を目の前で見せられるのに、輝くような技がそこにあるのに、自分にはできない、緒も見付からない、直接の師匠の山口師も体格は私とそうは変わらぬのに何とも見事なしなやかな技をしているが、私にはできない。考えてみればそんな名人技はすぐにできる訳でもないので当然なのだが。主観的にはまったく情けないと感じるような状態だった。私なりに必死の思いだった。だからこそやがて武道に限らぬ〈文法〉を考えるに到ったのである。そしてその発想は間違いではなかったと今では思っている。私の今の合気道の体術や武道等の動きのレベルを自ら省みても、それは私自身まだまだ途上にあると感じるにしても、三十年前は夢のようだった技が今、私なりにできている。年齢とはかかわりないどころか、年齢とともに進化してゆく感があるのだ。またそのころ出会った達人達とは異なった時代に生きてそれなりの表現もできていると思う。


〈音楽の文法〉と指揮者小沢征爾

 去年、癌から回復して見事な演奏をしてみせた指揮者の小沢征爾氏が、その師匠の斎藤秀雄氏に「日本人が西洋音楽で抜きん出るには、西洋音楽の文法をしっかり身につけなければならない」と言われ、そのような厳しい教育を粘り強くされた、と語っている。その西洋の〈音楽の文法〉を訓練されたからこそ、自分はやってこれた、と小沢氏はしみじみと語っている。
 西洋人にとってはその〈文法〉は何気なくそこにあるもので、とくに意識的にならないで、その〈文法〉に沿っている。けれど当たり前すぎて、それに無自覚である。意識的にその文法をものにし、それに沿おうとした者の方が返ってその原則に沿った音楽がゆるぎなくできる…。私は〈身体の文法〉の発想を得てから二十年たった頃、この小沢氏の述懐を本で読み、非常に似た発想だと思ったものだ。その〈音楽の文法〉が具体的にはどんなものかは、小沢氏はあまり述べてはいなかったが、ただ〈身体の文法〉の場合はジャンルにかかわらず、まさに〈ヒト〉の存在としての〈文法〉にも係わってゆくものではと思っている。人の存在にもその活動にも係わるのが〈身体の文法〉である。芸術も武道も言語活動も人との出会いも瞑想も祈りもそこに係わってくるという発想である。
 このように〈身体の文法〉の発想と、それに基づくエクササイズを何年も行ってきて、今、あらためて思うことがある。それはこの〈文法〉は身体を通しての〈共感の力〉(註2)を拓き養うものだ、ということである。


バッハとラ旋と微分積分

 バッハ世界に目覚めたピアニストの例で〈共感の力〉を見てゆこう。
 実は、このバッハと女性音楽家のことはとても印象深くて、この四十年の間何度か思い出してはいた。そして時々、人に話してもいた。ところが、そこに生じていることを、なぜそうなったかを具体的にはあまり詰められなかった。今回も実は前回のブログに書いた当初はあまり見えてこなかったが、いくつかのヒントめいたものは浮び上がってきたのである。
 私は、当時、植芝盛平翁の創始した合気道の動きに多いラ旋的な動きを、武道の技とは直接は関係なくなる程ゆっくりした曲線的な波のような動きにしてレッスンしていた。それはラ旋的な、波動的な動きを強調したものであった(今の∞気流法にも近い)。おそらくピアニストIさん(註3)は、それまでに自分では経験しなかったラ旋的な動きを道場ですることで身体中に含まれるラ旋が刺激され拓かれたのがバッハの世界と呼応できるようになったと思うのである。身体が、筋肉のもっている波動性やラ旋状の構図や関節の構造の中の黄金比などに則って拓かれ、刺激されたのではないだろうか。
 運動筋肉は、一般に波のように隆起し、沈降して波動を打つ構造をしている。時にはたとえば太極拳のように流動する水のように動くとよいとされる。そこにラ旋構造もある。また、たとえば肩関節から肘関節、手首、掌、指の第一から第三関節までの各部の間の長さの比率には互いに対数ラ旋の構造と似たものがある。たとえば巻貝にもそれ(対数ラ旋)がある。樹木の幹への枝のつき方、花びらの円い構造に、対数ラ旋構造がある。名刺の縦横の長さは1:1.618…で、これを黄金分割といい神聖視されたが、この黄金分割もそのようなラ旋構造も自然の中に様々含まれているとされる。
 彫刻家のロダン「自然には無数にラ旋構造が含まれる」と言った。また「自然は直線を嫌う」という句もある。しかし、すでにあのダ・ヴィンチも数々の絵画の中の衣装のひだや髪の毛のうねりと曲線とラ旋を精妙に画いた。そして晩年はすべての世界を呑み込む自然の根源的破壊力のような嵐と水の凄まじい様相を表すのにラ旋と曲線の形をふんだんに用いている。最晩年の、予言者ヨハネの像は右手の人差し指をラ旋状に天の深い闇に向けつつ不気味とも思えるような謎めいた微笑を浮かべている。人体と自然を観察し抜いたダ・ヴィンチも〈ラ旋の神秘〉を痛感していたのだ。近代、有名な例はゴッホで、そのひまわりや糸杉や星空の絵は、ラ旋に満ちている。

 
 レオナルド ダ・ヴィンチ『大洪水』            『洗礼者聖ヨハネ像』

 ピアニストのIさんは、身体の中の自然が目覚めたことによって、バッハと共感した、つまりバッハと通じる構図がそこにできて働き出した。
 実は、バッハの音楽にも、ある種のラ旋構造や対数ラ旋の構造が含まれているのではないかと私は思っている。
 (私は音楽の素人なので、少し読んだバロック音楽についての一般的な本や、何よりも自分が好きで聴いてきた感じなどに基づいて述べているので、厳密な学問的な証明をすることはできないが)


ゆがんだ真珠―バロック、そして合気道

 バッハもその時代の代表の一人とされるバロック音楽の「バロック」とは、元々ゆがんだ真珠という意味で、それまでのすべてが神の世界に支配されたそのままの世界を音で表すのでなく、つまりすっきりと丸い整った真珠ではなく、神の支配する世界にいても、時にゆれ動く人間の心も音になってゆく、そういう「ゆらぎ」が、まるでゆがんだ真珠のように表現されるのである。
 バッハの音楽はしかし、バロックであっても〈平均律〉という考え方をしっかりと取り入れて拡げた。「平均律とはいってみれば、それまでは各種の楽器によって音が微妙にずれてしまうのを、できるだけ平均的に記号化し、ずれを無くすか、ごく少なくすることで楽器間の音程を合わせやすくした。そうすることで不特定多数の聴衆のためのコンサートが可能になり、楽器の音量も増すことができた。」(以上、『バロック音楽はなぜ癒すのか』竹下節子著、音楽之友社刊)
 バッハはこの平均律(実は、よく調律されたといった意味が本来で、平均律というやや数学的な概念とは異なるらしいが)の精度を高めたのだが、同時にそれまでの〈ずれ〉や〈ゆらぎ〉の世界のセンスを豊かにもっている人でもあった。「バロック時代の管弦楽は、個性はあるが不完全な各奏者が個性ある不完全な楽器を使い、各自の「気の動き」を何とかとらえて折り合いをつけながら音楽を生んでゆく…」(前掲書)
 音楽家のIさんは、つまり体のゆらぎ性が拓かれ、〈気〉に目覚めたともいえるのである。ゆらぎはゆらぎ性と共感し、〈気〉は〈気〉と感応することがある。そのようなことがIさんに生じたのである。そこで〈共感の力〉〈共感力〉が働くと言いたいのである。
 そして、ここでもう一つ想い起こされることがある。合気道創始者植芝翁が、「合気道の動きは微分積分じゃよ」と道場で語りながら演武をしてみせたことがあった、と前に述べた(連載中の《3》末尾)。当時は何のことかさっぱり分らなかったが、そして植芝翁もそんなことは滅多に言わなかったが、今、ふと考える。それは微分積分は、何とバッハと同時代人であり、しかも年代は少しずれるが同じ都市ライプチッヒに居た、哲学者、ライプニッツイングランドニュートンとは別に発見した、ということである。変化や動きをとらえる微積分とバロック合気道―そこに変化、ゆらぎをとらえる人間の営み、ということで何か共通のことがあるのではないだろうか。そのことを一人のピアニストが身体技法をする中に自ら知らずに自分の体に映し出したのではないか、と想像が拡がるのだ。

 もう一つの、その当時の例、銀座のレストランのマネージャーのケースは、何が生じたのだろうか。〈共感の力〉を基軸に解いてゆこう。(つづく)
                            平成二十三年七月七日



(註1)『芸術生活』(月刊)は当時、『芸術新潮』とよく似た装丁で、ちなみに私の「肉体と芸術」の出た1974年10月号には、柴田翔(作家)、和田誠イラストレーター)、針生一郎(評論家)、池田満寿夫(画家)等々の顔がある。

(註2)〈共感力〉〈共感の力〉はいわゆる感情的なことを指すのではない。実はもっとよい言葉があるかもしれないと思っている。人と人、人とモノ、人と自然が呼応し合う働きを、禅などでは〈感応道交〉といったりするが。たとえば宮沢賢治の、自然や人々との共生、共感に働く構図である。これについては少しずつ、具体的な例を挙げつつ述べてゆきたい。

(註3)このバッハについての文を何回か書き直しているうちに、実は何十年振りに私はこの人の名を思い出した。実名は訳あって避けるが「Iさん」、そして、ふと思った。ここにも〈共感の力〉が働いたのでは、と。つまり、脳裡のどこにせよ、幽かに「あった」彼女の名とこの話のテーマが呼応したのである。私が何度もテーマに集中するうちに、そこにかかわる彼女の名前が共振して私の意識に湧き出してきたのである。そこでここからはIさんと呼ばせてもらうことにしたのである。

《動画》
 今回はバッハの『トッカータとフーガ』で〈雲のエクササイズ〉をしている映像を紹介する。
 身体を「雲」に見立てる。そこに自在に、風に流される雲のように、ふわりと虚空に浮くように、湧き立つように時に大きくなり、小さくなり、形を変え、気流に乗り上昇し、下降する。沈滞し、活発に渦を巻いて動く。体の外側も、体の内側までも「雲」に見立てて動くことで、身体中が、少しずつ、主として様々のラ旋状の動きで解きほぐされてゆく。
 これをバッハの『トッカータとフーガ』で行っているのである。バッハの母国ドイツで二十年くらいこのエクササイズを行って、様々な職業の人が参加してきた。はじめはこの大作曲家の荘重な曲が鳴り出すと、会場は一瞬たじろいだ雰囲気になるが、やがてこの音の描き出す様々なリズムとメロディーにのって活発に動き、興に乗り出すのだ。あるドイツ人は、バッハの音楽がこれ程合うとは思わなかった。バッハのこの曲はまるでこのエクササイズのためにあるみたいですね、と半ば冗談で言ったことである。この雲の見立ての「動作の遊び」の間、意識は楽にリラックスしている。極めて冷静でもある。


雲のエクササイズ+バッハ/Cloud Exercise+Bach


(なお、連載《6》に収録した演武の動画にもバッハのチェロ組曲を用いているので、未見の方は見てください。武術のあるべき条件は押さえながら、あたかも舞のように相手と出会いつつ展開している。)