坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

共感の力(改題・〈やわら〉を入れる)《6》

空間は私たちの呼吸器だ

 物理的空間、その中に含まれる空気の汚れも清浄も私たちは共有している。そして言語の共有性。二つは時にずれ合い、時に重なり合う。 
 前回でそのことを書いた。
 そうした共有性のセンスこそが、人間の活々した営みの根源にある。
 物質やそれを容れている空間やその空間をあらわす言葉やイマジネーションの共有をまごうことなく感じることができたとき、そしてそれを〈共有〉と呼んでみたとき、私は、私自身が今の原発やそれにかかわる政治家や科学技術者たちのせいもあるひどい状況を何とか受けとめられた。受けとめることで、一歩踏み出せる活性と方向性を少しだが復原でき始めたと感じた。
 すると、その方向性を含む力を〈共感力〉と呼んでみたくなった。
 そして、そうか〈共感力〉こそが、どんな状態に陥っても私たちを立ち直らせ、ゆっくりとでも何かを生産させて生きてゆかせる根本の力ではないか、と思ったのである。
 それは現実の力である。
 様々と現実に生じている場や空間に目を逸らさず、そむけずにそれと共にあること、そこに存在(イノチ)の原動力がある、と直感して、私自身は立ち直ることができたのである。
 どんな富をもっていても、地位があっても空気は彼を覆っている。仮に富みや権力で一時的に特殊な空気を手に入れてもそんなものは続かない。万人を覆っている空気と空間の共振、共感…。私たちは同じ空気、同じ空間を生きている…。私たちは空気を肺の中に出し入れしている。とすれば、ある意味ではこの空間こそが私たちの肺ではないか。この空間が私たちの呼吸器である。このことを把握できる働きを〈共感力〉と呼びたい。
 それはたとえば赤児の、母親との母乳の関係から始まって、たとえば人との何気ない話し合い、出会いにある。芸術作品のすべて、武道の技(少なくとも私のめざす技)や、政治や教育の現場に働くはずである。〈共感力〉こそが基本なのだ。
 ここで言いたいのは〈共感力〉は単なる感情や情緒のみに終わるのではないことだ。真の共感が働くとき、それは活々した創造力になる。そういう構造を〈共感力〉はもっている。共感と力(働き)と構造は三位一体である。
 〈共感力〉または〈共感の力〉はどうすれば啓かれるのだろうか。
 私が長く取り組んできた〈身体技法〉を通して探ろう。私が人生で最も、その〈現場〉に立ってきたジャンルだから、アプローチする緒が見付かりやすいと思うのである。




武道とバッハとレストラン

 私は二十歳台の半ばのころ、鎌倉の小さな合気道の道場に、師匠の代稽古のような形で、月二回くらいだったか、東京から通っていた。そこに年の頃三十過ぎくらいのピアノの先生が習いに来ていた。彼女は演奏家というより、教師として生計を立てているようだった。
 そのころの私の合気道の習得の程度というと、まあ段はあったが、手ほどきに毛の生えたようなものだったが、師匠が引き立ててくれたのだろう。(註1) けれど、私は人に教えることは教わることだ、などと誰彼となく励まされるものの、自信などはからきしない。ともかく工夫して、誰にでもでき、自分もある程度は見せられるようにと、ゆっくり、ゆっくりと時には呼吸のリズムに乗ってゆけるようにしてレッスンしていた。今にして思えばこれが今の∞気流法や、「ひかりの武」の工夫にどこかつながっていたかもしれない。
 さて、こうして一年くらいたったある時、そのピアノ教師が、「私は以前はさっぱり親しみも湧かず、特によいとも感じなかったバッハの音楽が最近になって急に親しみをもてるようになり、その内容にも気持ちがゆくようになりました。これは、ここで稽古をすることが影響していると思います。」と言った。
 このように、とくに柔らかく動きを工夫したとはいえ、武道の稽古が音楽への感性を変革する…そして彼女の言うように演奏の技量も変える…。
 こういうケースは、その後私自身が永く様々の稽古の世界に居て、また∞気流法、身体の文法を発表して様々の人々がそれを体験するのを知る中で、そう珍しくない。特異ではないのである。しかし、何故こういうことが生じるのだろうか。

もう一つその頃に私が見聞した実例を挙げる。
 師匠のもとで学んでいた若い稽古の仲間がいたが、彼は途中で一年か二年稽古に来れないことになった。銀座の有名なレストランで責任のあるポストに就くことになったためだった。すると師匠は「◯◯君は稽古に来られなくても、仕事で人を動かし、人のために自分も動き、ものごとを責任あるものとして判断し、決断する。人の心を引き立てもする…。日々、人間が問われるから、それが稽古みたいなものさ。」と。実際、次に一年振りに彼が道場に来て稽古したとき、彼は前より少し太り気味ではあったがその技は前よりよくなっていた。どこがよくなったかというと、相手を把握する、というか相手の状態と自分の状態を把握し、より核心を衝くことができるようになっていたせいなのである。少なくとも、私がこの師匠の下(もと)で行っていた稽古は、このように外面はフィジカル(身体的または物理的)でも、それに終わらず、もっと人間性全般的に通じるものだったのである。
 しかし、人間性全般といっても、そこにある種の構造があるはずだ。
 なぜ、ピアノ教師がバッハ(註2)に目覚め、レストランのマネージャーが、稽古に来ないのに上達していたりするのだろうか…。
 そこに〈共感力〉がある種の作用をしているのだ。(つづく)


(註1). 山口清吾という方で、背丈は170cmくらいだったが体重は60kgに満たず、
     むしろ細身でしなやかな動きをする達人だった。この達人については後に述べる
     つもりである。
(註2), バッハだからよい、というわけでない。ともかくも、彼女にとって、これまで
     にない世界が開けたことに意味がある。


―稽古風景にバッハの音楽を重ねてみました―

やわらげの武 yawarage movement /2011.6.21


平成二十三年六月二十日