坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

「 〈 やわら 〉 を入れる 」 ━ 「 武道は愛 」とは? 《2》

剣と「和─やわら」がつながる
 「俺が本当に修業したのは剣術ばかりだ」と、実は「やわらを入れた」として江戸庶民に喝采を受けた、と竹内氏がいう勝が言っているのである(『氷川清話』)。
 彼は、遂に一生真剣をもって人とわたりあうことはなかったが、暗殺者に狙われたのは再三で、素手で押さえたこともあったと言うが、その動きは剣と禅に養われたと言う。晩年は、体は傷跡だらけでもあった。
 「全体、何事によらず気合い(この場合声を出すことではなく、気力を充実させることや対する相手との間合いのようなこと─坪井)ということが大切で、この呼吸を呑み込んでおれば、たとえ死生の間に出入りしてもけっして迷うことはない。しかし、これは単に文言、学問ではできない」と言う(『氷川清話』)。「世間のことを処するにも、この呼吸と気合いで当ってきた。交渉などの時、相手に気合いが満ちて、勢いの強い時は正面からぶつからず、それをすらりと横にかわし、自分の勢いが強くなったら、油断なくずんずん押してゆく…」と語る。
 これは、勝の告白するように剣を通して得たものがベースになっているが、まさに、これこそ、江戸開城の「やわらを入れる」「技」になった、と考えてもおかしくない。剣にも「やわらを入れる」極意がある!
 竹内氏が青春時代深く入った弓道も、昔は実戦では剣より遥かに有効で多用された殺傷の「飛び道具」だったはずである。それがある時から、身心の錬成や自己─人間の果てしない探求の道としてとらえられる。弓がそうなら剣術もそのようになり得るはずだった。けれど竹内氏は、先にも触れたように時代の潮流や出会った剣道家の印象もあって、全くそうは考えにくかったのだろうとは思われるのである。剣─つるぎのあり方、置きどころということはやはり、考えざるを得ないのである。「やわらを入れる」にはそのことも無視できない。竹内氏がそれに触れなかったのは惜しまれるのである。


『奇跡の人』のヘレン・ケラーと武術の極意
 けれど、竹内氏の考察の真骨頂は、別の可能性も示す。 
 私が愛読している哲学者の木田元との対談『待つしかない、か』(春風社)で、竹内氏は、ヘレン・ケラーについて実に鋭い大切なことを指摘していた。
 聾唖の他目も見えぬ〈三重苦〉のヘレン・ケラーサリヴァン女史に出会って三ヶ月後くらいのある日、家の庭の井戸端で水を掌に流され、指文字の「水」をその掌に書かれて、それまではヘレンにとって何度描かれても得体の知れぬ指の接触のようなものにすぎなかっただろうその指文字─つまり記号というモノ─と、水というモノが一致―呼応すると直感し、同時にかつて健常だった一歳半までは早熟で声に出していた言葉「水―ウォーター」を咽喉から再び絞り出したように発した、という。一瞬にして、モノには名があると直感すると同時に、彼女に「世界が劈(ひら)かれた」のだ。映画や演劇『奇跡の人』で有名になった非常に感動させられるこのシーンについて、その場面迄はヘレンはわけもわからず荒れ狂うような態度であったとしか描かれていないが、それでは何かが足りないと思っていたと竹内氏は指摘する。そう、サリヴァンの手紙によると、その井戸端の事例の何日か前、それまで自分を全く受け付けなかったヘレンが、はじめて自分の膝に乗ってキスを受け容れてくれた、とある。サリヴァンはそれをこそ「奇跡が起こりました」と述べているというのだ。
 この竹内氏の指摘は「人間の出会い」「人間の存在(イノチ)」について、非常に遠くまでというか本源的なところまで導いてくれるものがある。


 ヘレンの「水―ウォーター」という言葉による世界の甦(よみがえり)のエピソードの理(ことわり)は、剣術や柔術とも通じてくるのだ。
 一見対立、対決、敵対―時に互いの存在やその所業を打消したい相対―の中にある人間の闘争の中の暗い「闇」の業(ごう)。
 武術とはそういう人同士の業(ごう)の中に涌き上がる業(わざ)である。
 一方、ヘレンの物語も、世界から閉ざされているかのような人のおそるべき根本的業(ごう)の事態である。彼女の場合が特別だとはいいきれない。人間の陥り得る、閉ざされた盲目性、人や社会や世界との断絶感、孤絶。それはコミュニケーションの障害というもおろかな、世界、宇宙からの疎外であり、人にとっても最も深刻な「壁」であり「闇」だろう。
 武道では、先述したように、柔術に限らず、剣術も「やわらを入れる」ことができる。
 対立し、強張り、方向もつかぬ悪しき混乱状態に「やわらを入れる」ことで、その状況に光明への筋道を見出す。不毛の状態に、関わる互いが少しでも納得でき、息をつける方向と場を見出してゆく…そうした「やわら」を「入れる」のである。そこで、ヘレンがやってきた教師サリヴァンの抱擁を何かのきっかけで受け容れ始めたように、人と人が相出会い、当初の対峙の中からある種の触れ合いのような機を見出す。「出会い」が少しでもやわらぎ、より深くなってゆくように仕組んでゆく。その理(ことわり)と「こつ」は、武道のけいこの中でも実感工夫してゆけるもので、私たちはそのような技を実現しようとしている。
 そう、ヘレンはサリヴァンによって「やわらを入れ」られたのではないだろうか。そして実はサリヴァンもヘレンに。
 武術や剣術は、時代の要請で、「やわら」や「和(わ)」を正面に最先に掲げるようなことはあまりできなかった。
 けれど、時に、ふと、生死をかけるかのような激しい対立の技の中にも「和―やわら」は可能だということを剣術の流派や達人が示したこともある(新蔭流など)。
 第一、柔道の元になった柔や柔術という名前からしてそういう原理をどこかで踏まえていたと窺えるだろう。


合気道の祖、植芝翁は「武は愛なり」と語った
 合気道創始者植芝盛平は明治の生まれだが、「やわらを入れる」ことを高め、深め、広めるように、武は「愛」であると打ち出した。私は青年期、植芝翁の技を目近で見ていて、自分がそれを実現するのは容易ではないが、それはあり得ると思っていたのである。けれど、それに通じる発想は、剣術の到達点やあるべき心境を「聖」としたり(夕雲流)、また植芝翁とは別に「愛」を説いたりしたものもあった(一刀流)。いわゆる額に入れて飾っておく、時に偽善的にもなる美辞麗句ではない。
 なぜ、「和(わ、あるいは、やわら)」とか「聖」とか「愛」になり得るのか。
 現代の私たちが受けた教育や常識ではとても理解しがたく思われるだろう。いや昔から一般には理解しにくいことだっただろう。
 そうした「境」のようなものは、非常に多くの黙々とした身心の訓練や工夫、体験が積み重なった挙句にエッセンスが絞り出され、発酵して、遂に輝きを発するかのような感じで、言葉で表わすのは容易でないことかもしれない。微妙至極のように思われるこうした「境」や体験をどのように言葉であらわすか、というこれまた興味深いテーマは後述することにしよう。
 ともかく、ここで言えるのは、どちらにせよ、武技や武術がそのような「愛」や「聖」の段階に入ってゆくには、竹内氏が弓術で感得していた「世界が水平に広がってゆく」ことや直立する人が「無限に垂直に天地の方向にのびてゆく」ことに通じる働きあるいは感覚が欠かせないだろう。
 無限に広がってゆくかと思われるような自己の身。この竹内氏の弓道の体感を、柔術や剣術にいわば「翻訳」すると、広がりと深さをもつその「場」の中に自分も対立する相手も共に「入って」しまえば、対立する双方も対立の事態そのものも「一つの大きな抱擁」の中に抱かれていることになってしまうと表現できよう。
 弓の的の中に自己の左手(弓手)の肘が入ってしまえば矢が必中するように、剣や柔術でも相手の身と自己の身が、あるレベルでの融合の状態に入る(この融合、自他一体のレベルには、無視できない段階が様々あるが。)と、相手は「敵」でなくなる。すると当方の技は自由自在になり、同時に逆説的に倒したり、斬ったり、撃ったり自由自在のようでいて、それだからこそ相手をあたかも最も親しい間柄の人物のようにして、一切傷つけぬように、高レベルでの「やわらを入れる」状態にもなり得る。相手の自主性や納得さえ引き出しつつ、相手を活かす、そして、結果、自分を活かす技になる。そこは創造的な場になり、発展的事態のプロセスになり得る。
 この、まるで「生殺与奪の力」を与えられたかのような状況を、何とも逆説的だが、ものともの、人と人との間の最も深い高度な活き活きした関係─「愛」(エーリッヒ・フロム)と言っても、「愛」という語の濫用にならないのではないか。(その「愛」は人と自然を含んでの宇宙的な「愛」に通じていよう。)しかし、「愛」はいわば、最終言語、窮極の言葉である。このことについてはまた別に論じよう。


 ともあれ、なぜ武術が、その護身法などの実用の他、私たちのたしなみとして意味があるのか。
 人間の探求法として、実感を常に親しく伴う哲学、実践的人間学としても意味があり続けるのか。
 私はそこに人(自分も自分以外の者も)を活かす真の「愛」を感得する道が拓けると確信している。二十一世紀にこそ、ますます意味ある発想であり、ヴィジョンであり、それに基づく具体的な術(アート)と思われる。それは芸術や体育とも相似しているが、しかしまた異なった術であり道だろう。そのことを時には実技の映像なども紹介しつつ多面的に述べてゆきたい。
  ─つづく─