坪井香譲の文武随想録

時に武術や身体の実践技法に触れ、時に文学や瞑想の思想に触れる。身体の運動や形や力と、詩の微妙な呼吸を対応させる。言葉と想像力と宇宙と体の絶妙な呼応を文と武で追求。本名、繁幸。<たま・スペース>マスター

「コロナと人間の知」(4)

「詩」の働きとは?(承前)

 戦国策士の詩の心

 官兵衛に限らず、牢に封じ込められた者が、そうした動物、植物等と遭遇して慰められるどころか、時に人生観、宇宙観を変容してしまう程にインスパイアされた、と伝えられる例も少なくありません。(それは現代でもいくつかの例が知られています。)

 けれど問題は、そのような感性が、囚人や入牢者に養われているかどうかでもあるでしょう。それは通常の生活を送っている、私たちにも問われてくることですが

 私たちは、とかく、日常の生活や仕事に勤しんでいて、意識もそれにふさわしく枠をもっています。それは現代の文化、文明の潮流の唯中に、知らず知らずに、程度の差はあれ ー また、よくも悪くも、その価値観の枠に封じ込まれて流されていることでもあります。

 けれど、極端に生きることを制限され、監視され、時に明日の生の可能性も定まらずといったような状態で、人の感性は時には反転したかのように鋭敏になり、目覚めさせられやすい。視野が開かれ、何かの「本質」に目醒めるかのようなことが生じ……

 その視野を開かせる感受性、衝動や直観には、実は「詩」あるいは「詩魂」がどこかに関わっている、と思われるのです。

 実は、並外れた策士であった黒田官兵衛には、当時の武将としては並々ならぬ連歌や短歌のたしなみがありました(小和田哲男氏)。十八歳までは歌の道で身を立てようとしていた程でした。秀吉や後に家康の下で活躍している間も、勅撰和歌集や『源氏物語』の研究をしていた、というくらいです。その歌も幾つか残っています。

 

  松むめ(梅)や 末ながかれと緑立ち

    山よりつづく さとはふく(福)

 

と、これが今の地名の福岡の元になったそうです。

 (正直、伝えられ残された歌は、多くの場合、武将としてや指導者としての立場を超えてのものではないので、現代の私たちにはいわゆる「芸術」としては響くものがもう一つ足りぬ気がしますが)そこで官兵衛の「『藤の花』の目覚め」は、実は彼がキリスト教信者であった(後に棄教)ので、一種の回心的なことが、花を見て生じた、というキリスト教牧師の説もあります。

 もしかしたらそうかもしれませんが、どちらにしても、そこの直感にある一種の「飛躍」は「詩」的なものが関わるのではないでしょうか。それは実際に詩を作ったり歌を詠んだりしなくても、いわば身についた「たしなみ」のようなものでしょう。 

 そういう意味での「詩魂」は、どこかで、「童心」や「幼心」にも通路をもっているのではないでしょうか。

 実は、玉城先生の「全人格的思惟」もそのように、詩や童心など人間の存在の根源的な働きや心の働きと脈を通じているのでは、と私は思うのですが。

 

 人は体に封じ込められているか 免疫学者多田氏の例

 人は、牢獄に封じ込められることは通常ありません。けれど自分の身体に封じ込められるように痛感させられることはあります。特に事故や病いで不自由な身になった際にそれが重く意識されます。

 免疫学者の多田富雄氏(1934~2010)の例があります。

 氏は日本のみならず世界的な免疫学の権威でしたが晩年、脳梗塞になり、右半身が全く麻痺し、会話もままならなくなりました。辛うじて日頃と逆の左手でパソコンのキーに触れて文字を綴ることができるくらいでした。

 そうした深刻な右半身麻痺中心の重度の殆ど全身的な不自由が続き、必死のリハビリも必ずしも効果が見えないある日、右足の親指がほんの幽かに動き、それに気付いた一瞬があったのです。それをきっかけにこの指を動かしたのは一体なんなのだろうか、という想いに憑かれた。これは何の作用か、何がしているのか、そのように働いているのか。多田氏はこの働きを司る何ものかを「寡黙なる巨人」と名付けたのでした。

 その「巨人」はどこに在ってどのようにして親指の働きを司り、ひいては我が生命を司っているのかと発想したのでしょうか。

 それはいわゆる「大自然」の働き、「天」の働きなのでしょうか。俳句の芭蕉が自然の営みを支え司り、創り出す働きを「造化」と呼んだものに近いのでしょうか。氏の文を読んだ私はそのように氏の考えを想像しました。

 言わずもがな、「それ」は多田氏のように心ならずも病んで障害を持った人だけを動かしているのでもない。すべての人間、そしてすべての生き物に通じるでしょう。 

 時間も空間的な大きさもごくごく限定された身体という小屋に封じ込められて生き、やがて死を迎えてその「房」を離脱する、と見える人間。この人間を支えているのは「寡黙な巨人」であるこれはとても官兵衛の発想に似ていると思われるのです。小さな藤の花は「宇宙」あるいは宇宙の働きであり、官兵衛は狭い牢の中でも自らがそれと結びついていることを感じていたのですから。 

 多田氏もまた、その医学上の研究だけでなく、若い頃から本格的に文学に取組み、能楽の創作を度々発表して、それは能楽堂などでも度々演じられていました。そのテーマはいわゆる花鳥風月のみに傾くものではなく、環境問題や原爆など現代ののっぴきならない問題とも深く結びつくものでした。石牟礼道子氏との共著『言魂』もある。詩魂、詩情とその表現のたしなみが身に備わった科学者だったのです。 

 言うまでもなく、しかし詩作や文学作品を専らにする人に詩魂が専有されるわけでもない。むしろ、これらの人々は玉城先生の言われる「全人格的思惟」をしていて、その表れの一つとして詩作もあるのだ、と思うのです。

(ー 続く)